地球の卒業試験としての許し

先日の本部集会は「許し」ということがテーマだったのではないかと思います。現在、我々の住む地球は小学校レベルの星で、今回の救世運動により、中学校レベルの星にシフトアップするのだといわれていますが、さて、この「小学校」レベルというのは、一体どういったレベルのことなのでしょうか。

地球が太陽から生まれ出た時は、まだ生命が生きていけるような環境ではありませんでした。宇宙のスペース・エンジェルたちの力も借りながら、環境を整えて、やっと生命が誕生します。長い時間の中で除々に様々な生命体が生まれ、哺乳類とか人類が修行できる環境ができてきます。そして、人類がやっと登場します。人類は、原始的な状態から修行を始めていき、様々な文明を経験します。それでも、まだエゴという野獣性に振り回されている段階、これが今の地球の段階なのです。

今の地球では、まだお互い殺し合うような戦争を行っています。それは、殴られたから殴り返すという仕返しを互いに続けているようなものでしょうか。目には目を、歯には歯をといった形で、やられたらやり返すわけです。それがだんだんとエスカレートしたりします。

そしてこの繰り返しは、地上だけのことではありません。転生輪廻の観点から見ると、もっともっと永い間、こういった仕返し、あるいは「あだ討ち」のようなことが続いているのです。ある転生で人を迫害すれば、そのカルマを解消するために次回の転生は、逆の迫害される側で生まれてくることが多いのです。迫害される側から、その痛みを体験してみるためです。ところが、いざ生まれて、迫害にあうと、前世のことは忘れ去り、迫害する相手への恨み心に捉われてしまいます。それだけで人生を終わると、次回の転生は、また逆の立場、すなわち迫害する側にまわることになります。こうして、相手の痛みをわかり迫害をやめることができるか、あるいは迫害されても仕返しはしないという課題をクリアするまで、立場を変えて転生を繰り返すのです。中東での対立や争いは、こうやって延々とくり返されているのです。

これをどこかで断ち切らなければなりません。この仕返しというマイナスの回転を止めるためには、一旦、相手を許さなければなりません。まず、自分を迫害した相手を、あるいは仕返しをしなければならないと考えている相手を、まず無条件に許すことです。それからすべてが始まるのです。

「汝らのうち、罪なき者のみ、この女を石にて打て」という、聖書のイエス様の言葉を覚えていますか。他人を一度も迫害することなく、人生を生きている人はいないでしょう。永い転生の中で、罪を犯していない人はいないのです。許しの根源にあるものは、しっかりと自分を振り返るということにあるといわれます。自分を深く、深く振り返ったときに、他人に対して厳しくはなれないのです。自らも、過去世を振り返ると、同じようなことをしているかもしれません。他人を許さんがために、許すのではなく、その許しは、同時に自分を許すための許しともなっているのです。

イエス様は、「汝の敵を愛しなさい」ともおっしゃいます。自分が愛するものを愛するのは当然で、愛するべきでないものを愛する事が大事なのです。あなたが許せないと思っている人であっても、同じ神から分かれてきた存在なのです。だから、どんなに相手が理不尽に思われても敵を愛す努力をするべきなのです。敵とは、互いに兄弟であるという本当のことを知らないだけの人であるのです。中東の人びとは、互いに争う相手が、同じ父、エル・ランティの教えのもとにある兄弟であるということを知らなければなりません。

まずは、こういったことに気づいた人から相手を許しましょう。そうすれば相手も許し返してくるのではないでしょうか。心は互いに通じるものです。

こういった許しから、仕返しやあだ討ちの繰り返しは止まり、地上での戦争も消えていくのです。そうして地球は初めて小学校を卒業し、中学に入学できるのです。無条件の許しこそが、地球シフトアップのキーポイントなのです。

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男女の法

先日は松下村塾にて「男女の法」の学びを深めました。この「男女の法」は第二の計画でも本格的に説かれなかった、レムリアのオリジナルな教えのひとつです。第二の計画では、高橋信次先生が「愛の賛歌」という霊言集を出されて、これがG会も絡んで物議をかもし出したこともあり、今回の第三の計画では信次先生に代わりマヌ様がこの「男女の法」を説かれました。それほど、誤解を生みやすく、かつ人類にとっては根源的な問題でもあるのが男女の法であるのです。

この「男女の法」の本質は、陰陽の創造原理にあります。それは人間の魂の創造にも関わるところの根本的な原理です。神はまず、人間の魂の創造の際に、その根源的なエネルギーを、男性のエネルギー、女性のエネルギーに分けられました。神は私たちに、二つに分かれることにおいて、それぞれが学び、進歩し、成長していきなさいという課題を与えられたのです。ということは、私たちの魂が存在したという同時瞬間に、それぞれを補完し補い、そして共通な磁場、共通なエネルギー体の片割れとしてのパートナーが、存在しているということなのです。私たちの修行の中には、その究極の悟りの中に、ツインソウル(あるいはツインフレーム)といわれる自分の魂のパートナーと出会っていく旅があるのです。

なんとロマンティックな話なのでしょう。皆さんにも必ず、どこかに1人のツインソウルが存在するということです。そのツインソウルに出会ったら、他のどんな魅力的な異性にも見向きもしなくなるそうです。そうなれば、他の異性との浮気などはあり得なく、パートナーと共に一体になって、互いにエネルギーを循環させながら仕事をしていく、そういうある意味シンプルな世界になるそうです。

かといって、今の地球で修行する私たちは、まだその段階に至っていないわけですが、今の相手がツインソウルではないからといって、浮気をしても良いというわけでは、もちろんありません。パートナーはツインソウルではないかもしれないけれども、その段階での学びがちゃんとあるということです。私たちは、ツインソウルと出会える段階に至るまでは、自分自身の魂を、女性の性、男性の性の原理の中において、しっかりと学ばなければならないのです。男性原理、女性原理としての課題を卒業した後に、自分の魂のパートナーとの出会いというものを許されるのです。

そして、そこに至るためには自分が神の子であるという悟りに至らなくてはなりません。すなわち、今回の一連の救世運動の中で説かれてきた地球系神理をきちんと学び、実践しなさいということに他なりません。自らが何者であるかということをちゃんと悟ってこそ初めて、自分のパートナーがわかるということです。

さて、男女の法はある意味、陰陽の創造原理に関わる根本法ですが、それを具体化する際に突き当たるものに、性愛の問題があります。子孫をつくって繁栄していくという目的と同時に、男女の愛を完成させるためにあるのが性愛、セックスではないでしょうか。それなのに、なぜこの問題が汚らわしいものとしてみなされるのか。性愛だけの問題ではなく、異性そのもの、特に修行者は女性をのものを修行の妨げとして、避けるようになってきました。それだけ、性愛の問題は、人々にとって魅力的であり、うまくコントロールしないと、そこにのめりこむことにもなったのです。その昔、マヌ様がインドにて、この性愛に関する法を「タントラ」として説かれた際も、当時の人々の認識が低いこともあり、思うように正しく伝わらなかったことがあります。そこで、この文明で本格的に宗教が説かれる中で、この性愛の問題は、できるなら避けられるようになったのです。避けられるだけではなく、忌み嫌われて、正しくその意義が説かれることはなく、隠されてきたのです。

愛の感動や喜びの中で、神の子としてほんとうに愛を実現した時に、人の幸せがあるのではないでしょうか。その究極の姿が、男女が互いにエネルギーを交流し合一していく姿にあるのかもしれません。そういう意味で、すべてが神へと通じる道なのです。愛し合う者たちが共に惹かれ合い、そして共に手を取り合って、励まし高め合って、他の者たちの愛のために生きようとするのが、真に神の望まれている世界なのです。

これからは自らが神の子であるということを学ぶ小乗の段階を経て、神の子が互いに手を携えていく大乗の時代へと新たなる段階を迎えます。そして、新たな男女のあり方が始まるのです。そこにはこれまでのようなタブーもありません。オープンで自然な男女の関係が、それも形にとらわれない、本質的な関係のみが重要になってくる世界を迎えようとしています。様々に男女の愛を取り巻く制度も変わっていくことでしょう。

私たちは、2008年2月に、地球意識の男性性であるテラ様と女性性であるガイア様が互いに手を取り合いながら、この地球を素晴らしい修行の場とするために仕事をされていることを学びました。こうした究極の男女の姿を示されたということは、過渡期にいる私たちが理想とすべきことが一体何かを考えるための大いなるヒントとなったのではないでしょうか。

最近レムリアのメンバー同士で新たなレムリアン・カップルが誕生したようです。おめでとうございます。男女の愛を含めて、愛とは、お互いに手を握り合い決して離さないこと、そう「決してあきらめない」ものだという言葉をお二人に贈りたいと思います。どんなことがあっても、太い太い命綱のように、決して愛を離さない、捨てないことが大切だと思います。お幸せに。

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愛のバズーカ砲

先日は、アマーリエさん及び全国からのレムリアの有志も参加して、九州集会が開催されました。二次会、三次会含めて、気兼ねなく、ゆっくりと1泊でき、温泉にも入れて、最高でした。水心さんをはじめ、九州支部の皆さん、心のこもった準備、本当にありがとうございました。

2008年2月に天上界の扉が大きく開き、これまで隠されていたアルカナがどっと地上に降り注ぎました。今後のレムリアの活動は、第一、第二の計画を含めて、これまでに降ろされた天上界の「法」をいかに全世界に届けていくかという活動になっていきます。

全世界に散らばるところの光の天使たちとの連携なども始まってくると思います。みんな、天上界にて約束し、地球を愛の星にせんと誓い、この地上に出てきた人たちです。そうした人たちに法を伝えていかなければなりません。まさに、法を降ろし、法を管理し、法を広げていくのがレムリアの使命であります。

そういった動きとともに地域の拠点の役割も大きくなり、支部のあり方、その役割とミッションを考えていかなければなりません。今まで、本部も目の前のことで精一杯で(今でも、そうですが・・・・)、なかなか支部のケアができずに、ほったらかしにしてきたというのが現状です。それでは駄目ということでアマーリエさんの全国行脚が始まったわけです。

ただそこではっきりわかったのは、face to faceで会って話するのが、やはり一番意思の疎通がうまくいくということです。インターネットの電子メールを通しての会話や情報共有だけでは、なかなかコミュニケーションのギャップが残り、膝を突き合わせての話にはかないません。特に入り組んだ話はそうです。相手を正面に見て、相手の波動を感じながらコミュニケーションができる、face to faceの場は、とても重要だと思います。それが名古屋、九州と支部へ行って、支部の皆さんと話してみてよくわかりました。

だからこそ、そこに地域集会の意義というのはあるような気がします。初めてレムリアに来る人は、その集会で出会うレムリアの人たちを見て、話を聞いて、レムリアがどういうものかを判断します。そういう意味で、今、レムリアに集まってきている人たちは、「説かれた法を実際の生活の中で体現できているのか」ということが問われるのです。

レムリアの法が素晴らしいのであれば、法に則って生きている人たちも素晴らしいはずです。「ああ、あんな人たちの集まりなのか、書籍ではいいこと言ってるけど、会って話を聞いても、たいしたことないね」などと言われないようにしたいものです。

法の全体像を知らない人たちも来られることでしょう。その人たちに法を伝えていかなければなりません。できるだけ、わかりやすく、難しい言葉でなく、易しい言葉で伝えていくのです。

いろいろなバックグラウンドを持った人が来られるでしょう。そういった人に法を伝えていくためには、その人の機根に応じて法を説くこと、すなわち「対機説法」ができなければなりません。その人の目線でもって、その人の能力や素質に応じて、わかるように法をお伝えするのです。それが、法をお伝えする者にとって実践すべき愛なのではないでしょうか。

レムリアの書籍に感動し、レムリアに初めて訪れる人にとって、どういった第一印象を与えることができるのか。レムリアの法は素晴らしいと感じていただきたいものです。真の法に触れた感動を味わってほしいものです。

アマーリエさんは、「私たちが持っているところの『愛のバズーカ砲』を、ここぞという時に聴衆に撃つのですよ」とよく言われます。その時に、バスーカ砲からの愛の矢が聴衆に刺さり、彼らは感動で涙するのでしょう。

そういう意味で、この「対機説法」には無限の段階があると思います。ゆえに、より一層の精進が私たちレムリアに集う者には必要なのだと思います。がんばって参りましょう!

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食らいつくこと

最近のレムリアは新たなフェーズに突入し、様々な動きがおころうとしている。それらのレムリアの活動のキーとなる言葉は「ネットワーク」ではないだろうか。他の光の天使たちとの連携が今後いろいろな形でおきていくであろう。

そのひとつに各地域集会との連携、その活性化がある。先日はその皮切りとして、名古屋でアマーリエさんも参加して集会を行った。名古屋では、いろんな意見が交わされ、二次会も含めた様々な議論の中で、ひとつ感じたことがある。それは、レムリアの活動に参加する心構えである。

実は昨日スピリチャル・コンベンション(略称、スピコン)にレムリアも出展しており、その様子を見るために初めて行ってみた。会場には、ヒーリングやレイキ、占い類、そして水晶等の販売など、個人に癒しを与えるブースが所狭しとずらり並んでいた。ただ、レムリアのブースの一角だけは、他のそれとは趣が異なる。それは、自分のことはさておいてでも、他人のこと、多くの人、地球のために行動しようというレムリアの理念は、自らの癒しを求めるものと明らかにその波動が違うのである。

レムリアはもう後のない地球の救世計画を実行するところである。そこに集う人びとは、無私なる精神で、「神の手足」となる人たちでなければならない。

若いニケさんやてぃださんは、欠かさず集会に参加し、些細な仕事でも、それがレムリアに役立てばと思い、様々な雑用を黙々と行ってくれている。それがあのニケさんの映像作品やてぃださん作成のHPに流れる愛の波動を作っているのではないだろうか。

「やってくれと言われたからやる」とか「評価されたいからやる」といったものではない。ただ黙々と神様の手伝いをする、それが、まさに「神の手足」となって仕事をするという意味ではないだろうか。

また、イズクモさんを見よ。レムリアの活動に参加するため、家族を田舎に残し、仕事を変えて東京に単身で出てきている。レムリアの正念場の時期に密度の高い活動をしたいがために。これが命がけで神様の仕事をするということではないだろうか。

そういう人が少なくとも100人現れないと地球は変わらないと言われている。

そう、今は、レムリアに「食らいついてくる」人たちが必要なのだ。そうでない人たちに、ぜひお願いするから手伝ってくれと頼んで、そういう心境になるのを待っている余裕は今のレムリアにはない。時間はあまり残されていないから。

本部集会や松下村塾も月に数回開催している。地球変革の志士たちよ、集まりきたれ!

集会に、それこそ、「食らいつく」ようにして集い、勉強していく中で認識力が上がってくるのだ。その認識の力で、今、地球がどういう状況にあり、レムリアの活動の真の意味、そこに集う我々が何をすべきなのか、今という時、一番優先順位が高いことは何であるのか、そういうことが見えてくる。それがきちんとわかった上で、はじめて自分の役割が自覚できるのではないだろうか。そういう認識のもとで、自らの個性が発揮できるレムリアでの仕事を得ることができるのだと思う。それは、「これこれをやってください」と頼まれるものではなく、自らの精進と認識力でもって、自分で見つけ出していくものなのだ。

そして自らの役割と使命がわかったならば、渾身の力をこめて、実践しようではないか。自分が好きだからだけでやるのではない。役割だから、使命だから、やらせていただくのだ。そこには、小さなプライドや、他人と比べどうのこうのという、つまらぬ嫉妬からくるような不平・不満などは入る余地はない。それがレムリアで仕事をするということなのだ。

そういった「食らいついてくる」志士たちをレムリアは待っているのです。

名古屋集会の次の日に、アマーリエさんたちと熱田神宮へ参拝したら、天照様はじめ、素盞嗚尊様、日本武尊様らの神々が迎えてくださいました。その神々の前にて、威儀を正し、命がけでこのレムリアの仕事を成功させることを誓いました。より多くの人たちが、高い認識を持ち、レムリアに集い来ることを心より祈念して。

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信次先生の思い出

先日の学習会は「てぃだ」さんが信次先生の霊言をとりあげてプレゼを行ってくれました。「てぃだ」さんは、この新年に更新したレムリアの新しいホームページを作成してくれています。あのホームページから伝わってくる愛の波動は「てぃだ」さんの波動でもあります。

インターネットは、まさに、神理を全世界に伝えるための手段として発明されたものだと言えます。書籍だと、本として印刷し、流通を経て書店に並べてもらい、それを買ってもらうことで、やっと伝わるのですが、インターネットだと、パソコンに向かい、たったワン・クリックで、神理が伝わるのです。それも極めて低コストにて全世界に伝えることができます。アミの著者、エンリケさんの「ツインソウル」という本の最後に、世界に愛を伝えるためには、携帯電話とパソコンがあれば充分であるというくだりがありましたが、その通りでしょう。近い将来、レムリアから、電子書籍や霊言音声や動画などを、インターネットを介して、どんどん世界中に発信していきたいと思います。

さて、プレゼの前に、生前の信次先生に直接お会いしたことのある方2人に、その思い出を語ってもらいました。僕はK会の霊言集で初めて「高橋信次」という名前を知り、その後、生前のご著書を読んだり、講演会のテープ等を聴き、信次先生の教えを学んでいったのですが、生前に信次先生から直接、説法を聞いたという話や、はたまた、ご主人が信次先生のご自宅に泊めてもらったなどという話は、もう、それは、うらやましい限りでした。会場に、信次先生も来られており、参加者の皆さんも、気さくで飾らない信次先生の人柄をかもし出す思い出話を聞きながら、多くの人が、涙を流されてたようです。

信次先生と言えば、そのざっくばらんな性格を象徴するのが、こんな話です。アマーリエさんが、最初の本の出版報告で、岩木山神社に行かれた時のこと、ちょうど天照様がお見えになりました。その、あでやかで高貴なる天照様が、うやうやしく頭を下げるので、どうしたのかと、アマーリエさんが振り返ったら、境内の奥から、ひょこひょことジャージ姿の信次先生が「やぁー、やぁー」と言いながら、歩いて来られたという話です。日本神道の神社の境内で、その主宰神たる天照様の前でも、ふだんと変わらない、飾らない姿で出て来られるが、信次先生なのです。

新年に入り、信次先生のK会での霊言集、残念ながら今は絶版になっているのですが、それを全冊、再度読んでみました。当時も引きつけられたのですが、レムリアで学んだ後、再度読み直すと、「あれっ、こんなことがここに書かれている!当時は気づかなかった」とか、「すでに、あの時期に、こんな神理がこういう形で説かれていたのだ」という多くの発見がありました。そのユーモラスの語り口の中に、K会の神理の骨格のほとんどが、数十冊の信次先生の霊言集に述べられていたのではと思います。

今回の参加者の中に、レムリアの信次先生は「ちょっと怖い」という感想を述べた方がおられましたが、それは、K会で出られたときは、あんなにも早くOR氏のパイプが詰まってしまうとも思えず、やはり、余裕があったのだと思います。だから、少し脱線しながらも、いろいろな切り口から、縦横無尽に法を説いていかれたのです。今回は後がないので、そこに厳しさもあるのです。

「てぃだ」さんのプレゼの後、アマーリエさんの話の中で、こんな話がありました。アマーリエさんの座右の銘の一つが「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉です。これは、成功すればするほど、謙虚にならなければならないという教えですが、霊的な世界ではまさにそれが現実なのです。霊言をとるときに、「自分はすごい」とか、「自分がとっているのは神の言葉だから、私も神そのものだ」なんて思ったら、もうそれで、一瞬で地獄へまっさかさまだそうです。

アマーリエさんはいつも、霊言収録の後「どうでした?今の霊言、おかしくありませんでした」と参加者に常に聞かれますし、霊言の波動で皆が涙しているの見て、ホッとするそうです。天上界からのメッセージを伝えるということは、神のメッセンジャーとして、謙虚で、そして慎重でなければなりません。もし、おかしなメッセージを伝え、それを聞いた人々が間違った場合、その全責任をとらなければならないからです。そういう意味で、責任も重い大変な仕事であり、アマーリエさんが最初、そして今でも「できるなら巫女はやりたくない」と言われるのはもっともで、決して安易な気持ちでやるべきものではありませんし、それをやることができるのは、それなりの使命がある人なのです。

インターネットの世界にも、九次元から霊言が降りてくるとか言って、そのメッセージを公開している人も居られるようですが、そういったことを良く知った上で、よくよく自分を振り返って欲しいものです。

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2008年の2月に

桜の季節がやって来ました。満開の桜の花は、まるで「見て、見て、私を見て」と、その喜びの中で、彼らの生命力が輝くばかりのオーラを放っているように見えます。宇宙でも、星々が歓喜の中でクルクルと踊ってると言われますが、桜の花たちも春がうれしくてダンスをしているのかもしれません。春は生命にとって喜びの季節です。

さて、今年に入り2月からは、レムリアとしての大きなプロジェクトに専念するために、集会等を開けなかったのですが、3月から少しづつ再開し、先日は久しぶりに学習会を行えました。テーマはオグッチさんがとりあげた、バシャールの霊言でした。

バシャールは「わくわくすることをやるべし」というメッセージを発して、一大ブームを引き起こしました。僕もこのバシャールの教えは大好きで、仕事も「わくわく」してやることが大事だなどと、会社でもよく言っています。でも、この学習会にて、アマーリエさんから、というかアマーリエさんを介した信次先生から釘を刺されたのです。「わくわくすることをやる前に、ちゃんと反省を済ませなさい」と。

そうなのです。人間が永遠の命を持っている神の子だということを腑に落とし、自らの使命を遂行しようとする者たちだけが、「わくわく」というバシャールの教えを活用できる資格があるのです。反省もしないで、人を恨んだり、嫉んだり、憎んだりするマイナスの心を持ったまま「わくわく」行動したら、恐ろしいことになるのではないでしょうか。

スペース・エンジェルであるバシャールからの教えは、宇宙の法のひとつでもあります。第一の計画、第二の計画が実行され、地球系の神理、そう、あの「正法神理」と言われた教えが説かれて、やっと、地球の人びとに宇宙の法が開示されたのではないでしょうか。それは、とりもなおさず、我々、地球人は、この地球系神理をきちんと血肉とした上で、宇宙の法を学びなさいということなのです。その順番を間違えたらいけないのです。

今年の2月に、オーム宇宙から太陽、地球意識からメッセージが伝えられて、この地球という惑星の、宇宙の中での位置づけ、そして、その大いなる使命が示されました。それと共に、天上界のこれまで隠されてきたアルカナが開示されました。今までの第一、第二、そして第三の計画で説かれた地球系神理と、いわゆる精神世界という分野で伝えられるところの、あるいくつかのソースからの重要なメッセージが、どんな関係にあるのか、その位置づけを教えていただきました。

それは、まるで、最後のジグソーパズルのピースがピタッとはまるように、「ああ、そういうことだったのか」という、驚きと感動を伴う発見であり、私たちの認識力が引き上げられた時でもありました。このパズルは、世界中に散らばっている精神世界の活動が、それぞれ、どういう位置づけにあり、それらが何を目指し、その全体像はどういったものかを示す青写真でした。その青写真の真ん中には、地球系神理があります。この地球系神理の確立があってこその、宇宙の教えであり、様々な精神世界の活動もあるということなのです。

そして、ガイア様のメッセージが伝えられている最中に地獄に光の柱がたったのです。今、天上界が総力をあげて地獄界を浄化しようとしています。我々、地上界の者も、三次元にて神理のCDをかけたり、睡眠中に協力したりすることで、地獄の浅いところに住んでいた人たちが、どんどん地上界を経て、天上界へ帰っているとのことです。こうして、地獄の最深部にも光が少しづつ届くようになると共に、ルシフェルとの最終的な決着も近づきつつあります。

このレムリアの2008年の2月は本当に長く感じられました。いよいよ、九合目に差し掛かってきたという実感がします。再度、気を引き締め、進めているプロジェクトをぜひとも成功させたいと思います。地球を愛の星とするために。

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地球意識(ガイア)からの霊言

アマーリエさんの意識が、自分自身の中に入っていく。

自分の中に、自分の中に深く、入っていく。

自分の体の中にある血液、水、その中に母なる地球意識と通じる道がある。

深く、深く自分の命の源へ、降りていく。

その命の源は、母なる地球意識とつながり、そして、わたしたちの命と地球をつなぎながら、大宇宙の命の源へとつないでいる。

この母なる地球意識は「わたくしの愛する息子たちよ、娘たちよ、ようこそ来られました。母は、あなた方をずうっと、いにしえのときより待っていました。いつも、いつもあなた方を見守りながら、あなた方を育みながら、愛し続けて来たのです。」と語りだされた。

こうして、先日、地球の意識、その「ガイア」と呼ばれる女性性の意識からメッセージが伝えられた。

まさに、地球の母という感じで、わたしたちを包んでくださっているガイア様。

わたしたちは、このガイア様から、こんなにも内側から、愛されて、抱きしめられていたのです。

そして、ルシファーのことも誰より愛しており、彼に行き場を作り、最後まで彼とともに生きるといわれたガイア様。

そんな深い愛を持った地球という惑星に、わたしたちは、生かしていただいているのです。本当に幸せです。こんな地球で学ばせていただけることは誇りです。

さらに、ガイア様は我々人類に、水を汚しては駄目ですと忠告をされた。水は地球の体液でもあるという。水は波動やビジョンを固定化し、命を送り込む役割をもっており、水の協力がなければ、いかなる生命体も形をもてないという。その水に毒なる化学物質を入れることを止めなければならない。

力を持って戦うものに、愛をもって包んでしまうような、力をくじいてしまうような、そんな、深い、優しい、愛のエネルギーであるガイア様。

ガイア様のような陰の意識と、テラ様のような陽の意識が互いに協力して、この宇宙を、そしてこの地球を創っているのです。


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地球意識(テラ)からの霊言

アマーリエさんの意識が地球の上空に上がる。地球の青い青い空から、地上の地球を見ている。

とても美しく青い地球。多くの人々の営み、そして生命波動が宇宙空間に向かって放たれている。まさに「生きている星」というバイブレーションを感じる。

地球の上空をひと巡りすると、地球にはこんなにも様々な国々があり、民族があり、国家があるのだとあらためて思う。もし他の天体から地球に来たら、すごくにぎやかな星だと思うのではなかろうか。ああ、これが三次元に肉体を持った、生命力の開花している星なんだという、大きな躍動感みたいなものが感じられる。

そして、地球の内部の方に向かって急降下する。この空間は、地球の身体の中にある、地球意識の霊体の中。螺旋のように、渦を巻くように地球の内部意識の中に入っていく。地球の球体の中に、光の玉のように、みっちりと、地球の魂とでもいうべき霊体が入っている。

アマーリエさんの意識は、螺旋状に、地球の核の所に降りて行き、その核の内部に入る。何とも言えない、やさしい、懐かしい、万物を愛してやまない、「愛しい」という思いに溢れた意識に包まれている。

意思を持っているこの球体の意識は、「地球に住む、愛しい我が子供たちよ。ようこそ来られた。」と語りだされた。

こうして先日、地球の意識、その「テロリス」とか「テラ」と呼ばれるその男性性の意識からのメッセージが降りた。ちなみに「ガイア」と呼ばれるのは、地球の女性性の意識を指すという。

言葉にはなかなかできないくらいに、限りなく包み込み、抱きしめるような優しい意識、その中に、無条件の圧倒的な愛、一切の命を育む思いが感じられる。それと同時に、すごくダイナミックで、重力を創って地球の核を維持している強靭な男性の強い陽の意識も伝わってくる。

アマーリエさんは言われる。

地球意識自体は、がん細胞に犯されて苦しんでいらっしゃるのにもかかわらず、そんなことをひと言もおっしゃらないで、私たちのことばかりを心配していらっしゃる。ご自分が傷ついてもそんなことはどうでもいいと。

「どんな環境を与えても、自分たちにエゴな思いがあったら、あなた方が苦しいのだ。天変地異においても、戦争においても、あなた方は傷ついて毎回苦しんで、のた打ち回って死んでいくのだ。全てあなた方が、それが自らのエゴの思いの反作用であるということをわからなかったら、どれだけ私が生かしておいてあげたいと思っても、生かしてあげることはできないんだ。それを何度も見させないでくれ。それが一番つらいんだ。」と地球意識「テラ」はおっしゃられるという。

是が非でも、今回こそは地球のシフトアップを成功させなければならない。

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太陽意識(聖アントニウス)からの霊言

アマーリエさんの意識が宇宙空間の中に出て行く。真っ黒い宇宙空間の中。そこは、宝石箱をひっくり返したように、美しく星々が輝いている。

それらの星々は、美しい歌声でメロディーを奏でながら、皆クルクル、クルクルと廻っている。神を、大宇宙を賛美しながら、歌い、そして踊っているのだという。

赤い燃えるような太陽、その近くにアマーリエさんの意識が到達したようだ。

太陽からは圧倒的な目が眩まんばかりの光と、熱が発せられている。それでも、不思議と熱くない。熱いのだけれど、熱くないという感覚。太陽の中に人の姿が見え、そこで修行しておられる方がたの姿が見えるとアマーリエさんが言う。

太陽の住人は、非常にバイブレーション的に高い波動の方がたで、私達の物質界の構造とは違う肉体を持っておられるらしい。そしてこの太陽の中に、太陽を動かしている恒星意識と呼ばれる方がおられる。

その方が、にこやかに微笑んで、アマーリエさんの前に立っておられる。ものすごく美しい男性。髪の毛は黄金色、金色と白金の大きな羽が何枚か付いていて、長いローブのような衣装をつけているという。

その方が、にこやかに笑って、「ようこそ、とうとう来ましたね。」と手を差し伸べて、アマーリエさんの手を両手で握られた。

「地球の神の子たちよ、ようこそ、わたくしの星まで来られました。あなた方の惑星が進化を遂げ、このようなステージまで上がって来られたことを、心から歓び神に感謝いたします。わたくしはあなた方が聖アントニウスと呼んでいる者であります。」

こうして、先日のオーム大宇宙意識に引き続き、太陽の恒星意識、地球十次元においては大日意識と呼ばれている意識からの霊言が降りた。というか、アマーリエさんの意識が太陽まで昇っていき、そこでその恒星意識がアマーリエさんの言語中枢を介して、日本語に変換されたというほうが的確であろうか。

なぜ、この地球が太陽系のプリンス、いや銀河系のプリンスと言われるのか。なぜ、この地球のシフトアップが宇宙全体からの大きな注目を浴びているのか。なぜ、シフトアップ成功のため、地球霊界の九次元の者たちが全員で時の猶予が欲しいと頼み出てまで、最後まで粘り続けるのか。それらの理由が今回の霊言で明らかにされた。

地球という一惑星のシフトアップは、この宇宙全体に対する新たな「挑戦」だという。成功すれば、宇宙の大いなる「希望の原理」となるのだ。そのために、この地球の挑戦、そしてエル・ランティの挑戦がある。そして、今、そのクライマックスが訪れようとしている。

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大宇宙意識からの霊言

今、我々が生きているところの、この三次元のバイブレーションから、自分の意識を上昇させていく。

意識は、四次元、五次元、六次元、七次元とすうーっと上にあがっていく。

八次元、そして九次元くらいになると、地球を宇宙から見ている感じになる。とても美しい地球・・・。

そしてもっと意識をあげると、宇宙全体が見えてくる。宇宙も非常に美しい。

この美しい宇宙と一体になって、限りなく幸せな感覚につつまれる。

それが宇宙即我といった心境なのだろうか。

そこにおいて響いてくる声がある。

「わたくしは、すべてを創造し、すべてをいとおしみ、すべてを愛し続けてきたあなた方の父、オームである。あなた方はわたしであり、わたくしはあなた方である。」と。

先日、今年初めての霊言として、我々が存在するこの宇宙の意識からの言葉が地上に降ろされた。この宇宙の意識とは、高橋信次先生が心行・祈願文などで「大宇宙・大神霊・仏よ」と呼びかけられた方であり、精神世界では「ワンネス」と呼ばれる意識でもある。この大宇宙の全てを創造し、全てをいとおしみ、全てを愛し続けてきた巨大な意識、その名を「オーム」といわれる。この大宇宙意識・神霊が、直裁に人間の言葉として、その想いを我々人類に明らかにされたのは、これが人類史上、地球が創造されて以来、初めてのこと。

レムリアはいよいよ9合目に差し掛かろうとしている。

昨年は十次元意識のセレニティ様が言葉を降ろされた。そして、今年は、年頭から、大宇宙意識からの驚愕の霊言を賜わったのである。

人格を持った神霊ではないので、霊言をとったアマーリエさんの口調は、抑揚のない、静かでゆっくりとしたものだった。昨年のセレニテイ様の霊言収録後は、その大きな負荷に気を失って倒れたアマーリエさんだったが、今回の大宇宙神霊は、自然に流れ込んだ、自らの一部でもあるという感覚にて、リラックスした中での収録だった。人格霊のように、周波数の違うエネルギーが入るというストレスがなく、負担はほとんどなかったという。その感覚としては、少しほろ酔い気分のような、ポカポカして楽しい気分だったとのこと。

我々の魂の親たる大宇宙の意識は、「わたくしはあなた方をいつも愛して、いつも見守ってきた存在である。どうか私をオームと呼び、あなた方の心の中で常に呼びかけていただきたい。」と我々人類に語られたのである。

私たち人類は「神の子」であるということを教わっている。この「神の子」ということを、本当の意味で、知的な理解だけではなく、ハートで、魂で、わかっているのかということ突きつけられたと思う。

アマーリエさんによれば、この大宇宙意識は、我々1人1人、誰でもアクセスできるのだという。心を開き、真に自らが「神の子」であると認識できるならば。

まさに今回の、そしてこれから何回か降りるであろう大宇宙意識からの霊言こそが、レムリアでこれまで降ろされた霊言を総括する「宇宙の法」そして「久遠の法」の核心なのではないだろうか。よくよく反芻して、魂に刻み込みたい。

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時代認識と情熱

先日、レムリアの有志にて初詣に行きました。これから世界に光を発信していく日本という磁場を作っていただいた日本神道の神々に感謝をこめて、レムリアの今年の発展を祈願してきました。2008年という新しい年を迎え、また新しい心構えで活動していきたいと思います。

さて、昨年の末から松下村塾と銘打った塾が開催されています。その中においてビジョンに関しての討議がありました。ビジョンというと、これまでも「成功の法則」であるとか、最近は「引き寄せの法則」とかいうことで人口に膾炙されているように思えます。単純に言えば、ビジョンを具体的に描き、それを信じて思い続けると実現するということでしょうか。

でもそれは、神から創造され、神と同じ属性を持つ人間であるならば、至極当然のことなのです。そして、創造の力というものを与えられているのが人間、神の子であり、その力を出現させようと思うときに必要なのがビジョンなのです。ビジョンがないと、神の子である人間が、本来の自分たちのエネルギー、自分たちの力に気づけないで終わってしまうのです。

だからこそビジョンが大事だということです。それも正しいビジョンを持たなければ、創造の力はどういう方向へも同様に働くのです。昨年の竜馬様の霊言にて、「しっかりとしたビジョン・夢・希望を描き、信念を持って信じ続け、それを現実に引き寄せていきなさい」と言われました。

もちろん大きなビジョンとしては、地球を愛の星にしていくことで、これは天上界からすでに方向を指し示されています。問題なのは、個々の各自がその向かうべき方向に対して、自らの個性を最大限活かし、日常の中に落とし込んで、何が具体的に自分としてやれるのかを探し、実際に行動することができるのかということが真に問われているのです。

この天上界の最後の救世計画を知っている人は地球に何人いるのでしょうか。まだまだ少ないでしょう。

確かに竜馬様は100人そういう先駆けとなる人たちが居れば、地球は変わると言われました。ただ、その100人というのは、きちんとビジョンを描き、腹を据えた命がけの覚悟のある人たちであるはずです。

また、この最後の救世計画において、これを知った自分が一役を担うことができる、それはなんという幸福なことでありましょうか。金銀財宝を山のように積まれてやめてくれと言われても、何とかして役に立ちたいと思いませんか。

だからこそ、レムリアに集う人びとの持つべきビジョンは、現時点での危機感溢れる真の時代認識と、その認識から、「よし、やるぞ」とふつふつと湧き出してくる情熱をベースにしなければならないと思います。そして当然のことですが、自分がどうなるといったの形の自己実現ではなく、無私な思いで神の手足としての何をやるかというビジョンであるべきなのです。

そして、そういったビジョンは、猫が気持ち良く日向ぼっこをしてるような、そんな緊張感のないものでは決してないはずです。地球を愛の星にしたいと思うからこそ、今戦いがあり、そして血を流し、みんなが苦しみながら、学んで行く挑戦の時でもあるのだから。

今年から数年間で世界に愛の光が広まるかどうかの分岐点でもある正念場を迎えようとしています。地球がどちらの方向へ行くのかというターニングポイントに差し掛かった人類が、愛の方向に向かうように、大いなるビジョンを抱き、全身全霊で駆け抜けていきたいものです。

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世界に向けての飛躍

あけましておめでとうございます。

この正月は、法の編纂チームで分担して集会等での録音を聞き直し、アマーリエさんが霊指導を受けて話をしている部分をピックアップするという宿題があり、昨年の集会の録音のいくつかを聞いていました。集会では様々な話をしているのですが、疑問な点などがでてくると、アマーリエさんを介して、天上界のレムリア指導霊団の一番適任の霊人が質問に答えてくれるというケースがよくあります。もちろん、単に知的な興味だけではなく、それを知ってどう救世活動に役に立つのかという視点からの疑問や質問でなければ駄目で、地上の努力や工夫に任されているものには答えては頂けません。

過去世にて、イエス様や、仏陀様、そして孔子様などに付き従い、教えを受けてきたこともあるのかもしれませんが、それと比べても、今回の第三の計画での教えの量と質は、はるかに勝る、そして第二の計画の初期に比べても遜色がないと思うのです。中央とローカル、表と裏、すべてが一体となった天上界の多くの指導霊団が、強い意志にてレムリアを指導・支援していただいています。

昨年を振り返り、通常ではあり得ない奇跡の場に居られたのだということを、あらためて認識させられました。また天上界との太いパイプが今、繋がっているということに深く深く感謝しなければなりません。

それとともに、今年は教えを頂くだけではなく、これまでに降ろされたものを地上に生きる我々でもって編集し、世界に向けて発信しなければならない年です。もう教えはたくさん降ろされました。それを、書籍として、また今回の救世計画のために発明されたというインターネットをフルに活用して、世界中に神理を、天上界の青写真を述べ伝えましょう。

HPもこれに備えて新しくなりました。どんどん素晴らしいものにしていき、そこからレムリアの波動を世界に伝えていきましょう。

感性に訴える芸術の作品も作っていきましょう。様々のツールを使い発信するのです。

1人1人、1軒1軒、伝道するということをやらなくともいいのです。会員を増やす必要もありません。あくまでも神理を広めること。できるだけ多くの人びとに神理に触れていただくこと。それをどう受け止めるかは、神理に触れた人の責任なのです。

さあ、どんどん発信しましょう。そのためのコンテンツを作りましょう。

世界に発信して、それを多くの世界の人びとがレムリアに降りているメッセージを読んで感動し、思いを新たにしていくような、そのようなビジョンを思い描きましょう。それを、ぐぐっと現実に引き寄せましょう。天上界と地上が強い意志にて力を合わせる時に、不可能なものはないと思います。

そして、大いなる計画のために生かされてこそ、自らの中にある神の子としての神性が何倍にも増幅し、反射し、光り輝き、多くの人びとを救うことができるのです。世界中の光の天使たちと手と手を取り合うことができますように。

本年が素晴らしい飛躍の年にならんことを祈念いたします。

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全体と個

先日の本年最後の本部集会は、いつも脇に追いやられている子供たちを中心にして、何かイベントをやろうということで、クリスマス会というものが企画された。次世代を担う子供たちに対して、いずれ子供会のようなものもできてくるのだろう。

今回のクリスマス会は、歌や踊りや朗読、そして寸劇を織り交ぜて、子供達とともに、皆で楽しめるものになった。特に寸劇、いや「聖劇」は、突如やろうということになり、2週間ほどの短い期間の中で、脚本から演出、小道具等皆で協力して準備、さて本番はどうなることやらと思っていたが、素晴らしい?アドリブや、法力のパフォーマンスも飛び出し、楽しく、そして有意義なものとなったのではないだろうか。

劇というと、小学校時代の学芸会以来、とんと縁がなかったのだが、この寸劇を皆で企画し具体化をしていく過程において、あらためて素晴らしい発見をした。

よく社会や組織のあり方を考える上で、全体と個のバランス、すなわち個々人が構成する集団と、その各構成員との関係が課題となる。全体のために個が犠牲になるような統制社会、逆に個がバラバラに自己を主張している自由社会、どちらも極端に行けば、そこに個の幸福はないし全体の発展は頓挫する。

今回の寸劇を具体化する中で再認識したのは、個々の個性に応じて、全体の中の一部分の役割を担うこと、それこそが個としての幸福であり、全体の発展に寄与するということだ。まるで、ジグソーパズルで個々のピースが一つ一つぴしゃりとはまっていくように、それぞれの個が自由意志にて必要な役割を担い、全体として仕事が進んでいく、そんな全体と個のあるべき理想像を垣間見たように思う。

また、皆で協力して何かを創造するというプロセス、そういった実践の中でこそ個々の個性は輝きだし、その人のオリジナリティが出てくる、そういう経験をさせて頂けたのではと思う。一生懸命自分のやれることをやる中で、人々というのは自分のオリジナルに出会っていくのだろう。この三次元にて、何も動かないで、頭だけで法をわかったつもりでいても、少しも学べないのだ。失敗してもいい。何かをやってみて、具体的に挑戦してみて、はじめてわかるのではないだろうか。

あらゆるものはひとつの神といわれるエネルギーから分かれた。それもオリジナルな個性と役割をもって。そして我々は、神が意図して分けられた自分の本来の姿を発見する長い長い旅に出てきているのかもしれない。それゆえに、個は全体の中の一部として、その与えられた個性を煌かせながら、やるべき使命を果たしていくのだろう。唯一無二の、かけがえのないひとつの歯車として。

今日は大晦日。もうすぐ2007年も終わる。

昨年末からレムリアの活動に参加する中で、この1年、喜びと共に、人生が一変した。

今年集まって来られた、素晴らしいレムリアの新しい仲間たちと出会うことができたことを、神に心より感謝致します。本当にありがとうございました。

それでは皆さん良いお年を。

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宇宙の法

前回の本部集会はニケさんにアミの霊言を題材にプレゼを行って頂いた。そのプレゼの最後に、ニケさんが36時間ぶっ続けで寝ずに作成したという映像が披露された。そこから伝わってくる波動に接して、会場の多くの方が涙した。数分間の映像と音楽とメッセージが伝えるもの、それはまさしくレムリアの波動そのものだった。どんな高邁に言葉で神理を語るより、直裁に心に響いてくるものがある。

この1年レムリアにたくさんの方が集まってきた。その中で、隠された才能や能力が発芽し、開花していく方がたも多い。ニケさんもその1人で、日々の精進と情熱、それがあの映像作品に凝縮して、人の魂を震わせるのではなかろうか。ニケさん、どうもありがとうございました。

さて、アミやバシャール等々、宇宙のスペース・エンジェルからの霊言をとるということは、本来第二の計画で行われるはずだったと言われる。ただ、第二の計画では初期の一時期を除いては、宇宙から見た地球の位置づけ、その使命といった教えはついに降ろされることはなかったし、今後もないであろう。

地球の歴史に関しても、第一、第二の計画において、この地球に肉体としての人類が住み始めたのが3億6千万年前、6千万人のベーエルダ星人が飛来してからということは明らかにされた。しかし、考えてみれば、この何億年という時間は、気の遠くなるような長い長いものである。本当にそんな長い間、人類は地球に生き続けてきたのだろうか。他の精神世界の本や宇宙人も含め様々なチャネラーが伝えるところのメッセージをいろいろあたってみても、こんな何億年もの昔から人類が生きてきたという話はほとんど聞かない。

レムリアでは、霊言の中でもこのベーエルダからの飛来のことは何度も言及されている。それは、まさにレムリアが第一、第二の計画を引き継いでいるということの証明でもある。そして、レムリアでは宇宙的な視野でもって法が語られており、本来第二の計画で出すべきはずだった「宇宙の法」は、この第三の計画にて明かされつつあるといってよい。

ベーエルダは科学が非常に発達した星で、額に汗して努力をしなければならない日常の一見退屈に見える繰り返しの生活に、自分のエネルギーと時間が取られることをひどく嫌う風潮があったという。「それを嫌がってはいけない、そういう日常の一こま一こまのすべてを通して神の子の営みがあるのだ。もう一度本来の自然の中に、神とともに生きる姿の中に信仰心の原点がある。神の子の原点がある。それを見失ってはいけない」ということを説いたのがエル・ランティ様だった。最高の科学を追求していくだけではなく、より信仰や愛に重点を置き進化していこうと言われたのである。

そして地球からの要請もあって、賛同する6千万人のベーエルダ人を引き連れて地球に飛来されたのだ。エル・ランティは、この宇宙船の船団を率いて地球まで来るために、宇宙の要所要所のエネルギースポットからエネルギーを引き、それを各船団に分けてチャージをしながら航海を続けた。中には途中で引き返した宇宙船もあったとか。そしてなんとか無事に航海を終え、宇宙船から初めて青い星、地球を見た時、そしてこの星に降り立った時、ベーエルダから来られた人々はどんな思いを持ったであろうか。

彼らの飛来の目的は、我々の感覚からすれば「便利な生活を捨てて、大自然と一体となり生活する農耕生活に戻ろう」というようなものなのだろうか。それとも、ヨーロッパからアメリカ新大陸への移住、その後の西部の開拓のようなものだろうか。いずれにせよ、最高の科学水準でサポートされた楽な生活を捨て、エル・ランティに付いていった人々は、フロンティア精神あふれる人々だったはず。

その後、地球は様々な惑星から人々を受け入れた。それは、多様なものを受け入れることにより、互いに異なる文化の中で、学びあうものがあるはずである、失敗や混迷を避けることより、試行錯誤し苦しむことの中で多様な魂の修行ができるはずであると考えたのだ。こういった形で、あえて難しいところに挑戦しようとしているのが地球であり、このチャレンジは宇宙的なレベルで大きな注目を浴びているという。

他の惑星から来られた方がたも、要請されて、あるいは自ら希望して、この地球に来ることを決めたわけだが、ユニークで、かつハードな地球の修行環境を受け入れる決断をし、覚悟の上で来ているはずだ。そういう意味で、この地球という惑星に住む我々は、チャレンジして地球に新たな文明を作ろうと希望に燃えて集まったのではないだろうか。そして、様々な転生輪廻を繰り返し、何度か地獄にも落っこちたりして互いに学びも深め、いよいよ地球も今文明において、人類に神の子としての自覚が芽生える時が来ようとしている。

それは、地球として、気の遠くなるような時間をかけながら、単純な生命を誕生させるのをスタートとして、哺乳類などの高等動物が修行できる環境を作っていき、やっと人類が登場し原始的な状態からの修行を始めていくことができ、ついには今文明において核爆弾を発明し、地球そのものを戦争により破壊できる段階にまで来た。この次、我々はどういう方向へ行くのか、今、その分岐点にある。自分だけ良ければといいという自己保存であり、ある意味人間の中の野獣性でもある「エゴ」のぶつかり合いの中で自滅していくのか、あるいは、自らの「エゴ」と折り合いをつけて、「人間神の子」という意識の中で、自らが愛のエネルギーであるということに目覚める段階へ行くのか。

皆が神の子であるということに目覚め、宇宙の愛と一体化していった時に、野獣性はなくなり、物質的にも霊的にもすごく軽くなって、「多くの人々のために光の一助となって生きよう」という愛と献身の段階になっていくという。そして、こんどは自らの惑星の外に出ていって、アミやバシャールのように他の惑星の為に貢献していく。そういう段階になり初めて宇宙連盟に加入できる資格ができるのだ。

ただ、この地球を愛の星にするというステップアップは、天上界やスペース・エンジェルたちの助力はあるにしても、あくまで、我々地球号の乗組員自身の手で行われなければならない。そのために、今レムリアに「宇宙の法」が降りている。

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「あきらめずに勝利した者たち」と呼ばれるために

先日の学習会ではイズクモさんが、マイトレーヤ様の霊言をとりあげて、スターウォーズのエピソードを挿入しながら、自らの決意とともに、実に素晴らしいプレゼンテーションをして頂いた。この学習会も、それぞれ担当するか方がたの個性に応じた輝きが伝わってくるとともに、開催するごとにそのレベルが高くなっていく。

マイトレーヤ様は、オリオンの仏陀とも呼ばれ、地球ではエル・ランティ様をサポートして分光を担当されてるという。レムリアに降りるメッセージによれば、地球の九次元霊にも、格の違いがあり、マヌ様やカイトロン様は、まだ9次元になりたてというか、それを人間にたとえれば、まだ子供というイメージらしい。その比喩でいうならば、エル・カンタラー様は青年、エル・ランティ様、マイトレーヤ様は壮年というイメージになるという。そのマイトレーヤ様が補助をつとめる分光を主体でやっておられるエル・ランティ様は、もう10次元に何時なられてもおかしくない方といわれる。

先日の集会にてベーエルダの霊人がアマーリエさんを介して話された中に、エル・ランティ様が6千万人を引き連れて去ってからのベーエルダは、星の進化が停滞気味で、エル・ランティにぜひ帰ってきて欲しいということを言われていたが、その高名は宇宙に轟いているという。

その偉大さへの猛烈な嫉妬心から、いつも地下の大ボスは、まずエル・ランティを貶めようと動いてくる。信次先生が亡くなられた後のG会から派生したグループで、数年前白装束でTVを賑わした、わけのわからない団体も、エル・ランティを貶めた時から転落が始まっていった。そしてK会においては、方便の時代は終わったと言い、手のひらを返したようにエル・ランティ批判に転じ、救世の使命を果たせなくなった。そして、またしても、同じようなことが繰り返されようとしている。それまでエル・ランティを賛美しておいて、後でひっくり返す。そして以前のものと、ごちゃまぜにして、神理の流布に混乱をもたらそうとする。しかし、もう三度目ではないか。同じ失敗を繰り返してはならない。

天上界はこの現文明の前のアトランティス文明にて、地球創生からの人類の大きな課題でもある「信仰と科学の両立」ということを達成させる計画だった。そして、アトランティス文明で達成できたレベルを、より熟成させて、余裕を持って地球のシフトアップを迎えようと考えていたのだ。ところが、地球の地下の勢力は、時を経るごとにどんどん大きくなり、アトランティスの末期、科学万能を信じる一派が、愛の教えを説くアガシャー大王と光の天使たちを生き埋めにしてしまうという暴挙に出て、天上界がもくろんだシフトアップへ向けての計画は挫折してしまう。

しかし、救世主が殺されたという状況の中でも、シフトアップの夢を捨てず命がけで頑張った人たちが居た。彼らは「あきらめない者たち」と呼ばれた。天上界は、今文明における末期の今、今回は救世主は殺されはしなかったけれども、似たように挫折した状況下において、この「あきらめない者たち」に再度期待をして、逆転の第三の計画を実施しようとしている。レムリアに集まって命がけで仕事をしようとしているのは、その「あきらめない者たち」だったのだ。

こういったアトランティス末期の記憶はこれまで封印されていて、ごく最近に開封された。それはクライマックスを迎える今の時期まで、そのエネルギーを温存しておきたかったからだという。今からそのエネルギーが出てくる。それを、乾坤一擲、未来に向け、ぶつけていかなければならない。

アトランティスの時は、時間切れで、大陸が沈没してしまった。今回は、地球九次元全員が十次元神霊の前に願いいで、短いながら、まだ時間の猶予がある。そしてこの第三の計画の総責任者はエル・ランティ様であるのだ。なんとしても成功させなければならない。

残された時間は少ないが、全力を尽くそう。地球のシフトアップという目的に向かって、やれることを、悔いの残らぬように、行動に移していかなければならない。すべては、肉体を持ち使命に気づいた、この今が勝負の時なのだ。今のこの時が、地球にとってどれだけ大切なのかという時代認識を持ち、不退転の勇気を持って前進するのみ。

決してアトランティスの二の舞にはならない。「あきらめずに勝利した者たち」と呼ばれるために。

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大いなるビジョン

今から、かれこれもう25年以上も前になるだろうか。2年ほどアメリカで暮らしたことがある。それまで外人と話したこともない僕が、英語のシャワーの中で暮らさなければならなかった。中学から大学まで何年も英語を勉強している割には、TVからのニュースが流れても、最初は何を言ってるのか、まったくわからない。それこそ宇宙語?といった感じで、早口の話し言葉は、まるで一連の雑音を聞いているよう。でも、アメリカで暮らす限りは、何とか少しでもわかるようにならなければならないということで、悪戦苦闘を続ける日々が数ヶ月。

そんなある日、突然、英語の単語と単語の区切りがわかるようになったのだ。もちろん知らない単語そのものはわからないけど、そこにすでに知ってる単語と、知らない単語とで文章が構成されている、ということがわかるようになる。すると既知の単語の部分はわかり、未知の単語が浮かび上がってくる。すなわち、英語のヒアリング能力が、突如上がったのだ。それも、ある日突然に。

皆さんもそんな経験はないだろうか。ある一定の努力を続けていると、その努力の蓄積があるレベル(スレッシュホールド)なり、ある分岐点を超えると、ポーンと大きな飛躍が訪れることがある。たとえば、あることを必死で考え抜いていると、ある時、ぽっとその解答やアイディアがひらめくことがあるように。

レムリアとしても、最近それに似たようなことがあった。

先日の学習会にて、「未来を愛する力」さんが、モーリャ様、ミカエル様の霊言をもとに、「第3の計画のロードマップ」についてプレゼンテーションを行って頂いたが、その中でも詳細な説明があったように、2006年までの磁場固め、2007年は体制整備やコンテンツ固めと、レムリアの活動もいろいろとその舵取りを変えながら、その場、その場で様々な努力をしてきた。そして、その過程があったからこそなのだろう、前回のセミナーの際、レムリアにある人が来られ、その人がレムリアと関わることに伴い、大いなるビジョンが降りた。

今年の正月に信次先生から、レムリアは8合目くらいまで来たということを言われたが、この8合目から先の、おそらくや頂上が見えたのだと思う。これから訪れようとしている、地球のシフトアップができるかどうかの瀬戸際における、レムリアのやるべきタスクが!

おそらく、天上界はすべてを手配し終わっているのだろうか、このビジョンを実行していく戦略も、難解なパズルがピタッとはまる様に、外堀が埋まっていて、後は、地上に生きる三次元の我々が、智恵と勇気を振り絞り、これまでの転生で学んだものすべてをかけて、やりぬくしかないという状況なのだ。

そして、今からやろうとしていることが、今回のレムリアの一番大きなミッションであろう。

レムリアで昔話題になったが、OR氏のパーニャパラミタで書かれたというK会の「仏陀○誕」は、僕自身は好きな本のひとつだった。その中に以下のような一節がある。

「静かにゆく者は遠くまでゆくのだ。音少なくしてゆくものは、千里を駆ける。騒がしく鐘や太鼓の音とともに歩む者は、さほど遠くまで進むことはできない。なぜならば、鐘を打ち、太鼓をたたく音を聞いて、まわりからゾロゾロといろいろな人が集まってきて、やがて話こむうちに、本来の旅の目的を忘れ去ってしまうからだ。ゆえに、諸人よ、先を急ごうとするならば、静かにゆけ。目的が遙かに遠くにあるならば、すみやかにゆけ。深く、静かにゆくがよい。」

示された大いなるビジョンは、熱い情熱を持ちながらも、静かに、そして深く追求していきたい。焦ることなく。

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シフトアップ後の地球

法の編纂チームでは、編纂作業の中において皆で真剣な議論をして、どうしてもわからない疑問点を書きためておいて、集会等で時間がとれる際、アマーリエさんを介して霊人に聞いてみることにしている。

疑問を問いかけると、しかるべき霊人がアマーリエさんにインスピレーションなりメッセージを送って頂ける。疑問点に応じて、それぞれ専門領域を担当している霊人たちが、入れ替わって答えを頂けるのだ。場合によっては、非常に短い霊言のような形になる場合もある。日本神道のことを聞いたら、天照大神様が出てこられるように。

こうやって法に関する疑問を天上界の霊人に直接聞けるということは、天上界とのパイプが通じているこの今しかできない、大いなる奇跡の瞬間である。その昔、仏陀様やイエス様に付き添った直弟子たちも同じような奇跡の瞬間を通して学びをしていたであろう。まさに今、G会、K会に引き続き、アマーリエさんを中心として、そうしたことの再現が行われているのではなかろうか。それも、もっと大きくスケールアップした形で。

この地球が宇宙時代の幕開けを迎える中において、今後レムリアが編纂し残していくであろう法や神理は、その内容も宇宙時代にふさわしいスケールの大きなものになるはずである。

それは、我々の生きる、この広大無限な多次元宇宙を貫く法であり神理でなければならない。

「オーム」という名を持つところの十三次元大宇宙。それを神の身体にたとえれば、その中における様々な臓器に位置づけられる銀河の数々。そして心臓にあたるといわれる銀河の中において、恒星である太陽の周りを回る太陽系ファミリの一員である地球という惑星で、我々は肉体を持ち修行をしている。

まだ地球は、まるでハムスターが檻の中で、廻し車の上を走りながらくるくると回転させているがごとく、本人の意思にかかわらず、カルマの清算のために、ある意味いやおうなく転生輪廻をしている修行レベルにある。しかし、来るべき地球のシフトアップ後には、仏教において「解脱」といわれるように、人々は強制的な転生輪廻の枠組みからはずれ、個々の自由意志にて、学習の目的に応じた転生ができる世界になるといわれている。

その時、地球自体の波動も上昇し、人間が宿る肉体も、もっと粒子の細かい3.5次元くらいの軽いものになっているという。霊界においては、地獄界はなくなり、神の子としての自覚のある六次元以上の人びとで構成される世界となっている。それが我々が目指している愛の星・地球なのだ。そこは今の地球に比べるとより高度な修行の場となり、その波動についていけない人々は、別の低い波動の星に移動させられるという。

だから今、地獄界は、そうはさせじといきり立っている。第三の計画が進めば、彼ら地獄界の人々はこの地球上には住めなくなるからだ。確かに、現在の地球の地上界は地獄界に近い様相を示しており、地上に住む人々の悪想念が地上の上空を覆っている。地球に宿っておられる十次元意識・地球神霊は、その不快なマイナスのエネルギーを、身震いして、そう、巨大な大陸が沈むほどの天変地異を起こして、早く一掃したいと思っておられるはず。しかし、それを地球九次元の十人の神霊がそろって願い出て、第三の計画を実行するので、その決着がつくまでの少しの間、猶予を頂いているわけである。

クライマックスが近づいている。地球を癌細胞のように覆いつくし、地球の支配者となりたい地下の大ボスとの戦いのクライマックスが・・。しかし、霊天上界の霊太陽からのエネルギーを得ることができずに、地上人の悪想念を唯一のエネルギー源としている地獄界の人々。彼らが、もし地上に核戦争でも起こさせ、地上のすべての人間を地獄に引き入れ支配するという彼らの究極の願いを叶えたとしたら、逆に自分達がエネルギーを得る地上人が居なくなり、彼らも存続できない事態が訪れるという自己矛盾があるのはわかっているであろうに・・・。

宇宙時代を迎える前の文明のクライマックス、それは我々1人1人の魂の卒業試験でもある。今、天上界と繋がっているというありがたさを肝に銘じて、レムリアを一歩でも前進させていきたい。

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芸術と神理

もう先週のことになるが、第三回のセミナーも盛況のうちに無事終えることができた。準備を重ねてきたスタッフの皆様ご苦労様でした。そして全国から、そして海外からはるばる参加された皆様、レムリアの素晴らしいエネルギーを感じていただけたでしょうか。

今年の2月にスタートしたレムリアのセミナーはこれで三回目になり、参加者も増えてきた。このセミナーの目的は、レムリアの活動に賛同される方々に全国から集っていただき、活動の方向や現状を皆で共有し、天上界のバイブレーションに触れてもらいながら、更なる飛躍をする契機を作るということにある。地方のメンバーとも、ネットを活用して情報伝達・共有は図れるようにはなってきたが、やはり最後は「face to face」のコミュニケーションだ。直接、面と向かい会って話すことで、お互い信頼できる同士となれる。

今回のセミナーの特徴はなんといっても、芸術部のパフォーマンスがたっぷりあったことだろう。芸術にのせて神理を広げていく、それがレムリアの使命のひとつでもある。

芸術の活動は、神の七色の光線の中で緑の光線のもとにある。この緑色の光線のトップは、もちろん芸術の神でもあるマヌ様。根源である神に向かって自らを開放し、神の波動の根源的な美意識をキャッチし、それを現実生活の中に活かし推進していく、すなわち、天上界にすでにあるところの美を、この地上へ降ろしてくることが芸術の本質なのだ。

ところで、「無為自然」の教えで有名な老子様も、この緑の光線の影響を受けているといわれる。「修行、修行などという計らい心や、○○をしなければならないという心の縛りを捨て、心のたまねぎの皮をひとつひとつ剥ぎ取りながら、本来の自分に立ち返りなさい。そこに真の調和と幸せがある」というのが老子様の教えである。時折、大自然を参考にしながら、もともとの汚れていない、調和された自分に帰っていきなさいということを教えていただいている。さらには、芸術家としてのピカソ様が、「心の鎖を打ち払って裸の神の子になりなさい、本来の自分を発見しなさい」と言われているが、これは老子様の考えとも共通する。

とすると、緑の光線における、芸術の使命とは何であろうか。それは、地上の人間に天上界の波動に気づいてもらい、本来の人間の姿を発見してもらう手助けをすることではないだろうか。老子様が「自然を見て神のお心を感じなさい」と言われるがごとく、芸術とは、それに触れることにより、まさに、神を思い出させ、神のもとへ帰っていける大きな手段であり入口を提供していると言えるのではないか。

素晴らしい芸術に接したとき、我々の心は、神の波動に接することができる。たとえば、あのミュージカルのウィキッドを観て、涙が止まらないのはなぜだろうか。それは、あの歌と踊りから発せられる圧倒的なエネルギーが、観客を天上界の磁場の中に巻き込んでしまうからではないだろうか。最高の芸術に触れたとき、我々の心は、天上界のバイブレーションを懐かしく感じて、思わず涙する。神様のふところに帰っていける。

芸術を通して、神の大いなる波動に触れることができる。魂が打ち震える感動を伴う、レムリアならではの神理に基づいたオリジナルな芸術作品をどんどん作りたいもの。もちろん、そういった感動を与えるためには、様々な芸術のジャンルにおいて、それなりの高い技術や腕を持たなければならない。レムリアの芸術部よ、神理を感性にのせて世界に発信できる本物の芸術をどんどん産み出して欲しい。がんばれ!

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嫉妬心の克服

いよいよ今日はレムリアの第三回セミナー。その準備をしていると、夏合宿もずっと昔のような気がする。それだけレムリアでは、時が経つのがとても早く感じる。レムリアが前進すると、魔の勢力はいきり立ち、足を引っ張ろうとする。どこかで隙を見せると、すぐに攻撃が始まる。そして、そろそろ地下の大ボスが出てくる、クライマックスに近づこうとしている。

いつの神理流布の時代も、小乗(神理を降ろし、学習するフェーズ)から大乗(神理を伝達し、地上ユートピアを作るフェーズ)に入る前にその決戦は行われるという。第二の計画においても、しかり。社会改革や海外進出の前に、その戦で敗れてしまったのだ。地下では、九次元霊を倒したという勝利のお祝いでどんちゃん騒ぎの祭りが行われたそうな。

しかし、そううまくはいかなかった。万が一のことに備えて、モーゼ様が、このレムリアという第三の計画を用意されていたのだ。ミカエル大天使の提言により、その計画が発動され10年余り。レムリアも、その間、様々な魔の攻撃を受け、沈没しかかったこともあるけれども、なんとか持ち直し、今年に入り体制も強化され、いよいよ大乗のフェーズに入ろうとしている。それゆえに、今は魔界との決戦を迎えようとしている状況なのだ。

こういった魔との戦いにおいて、彼らがつけこむ隙となるマイナス感情の大きなひとつに、嫉妬心がある。ルシ・エルがサタンとして地上に生まれた時に、エル・ランティへの嫉妬心からの反逆が、知性の天使をして地獄の帝王に落としたわけだし、第二の計画でOR氏が堕ちた原因のひとつも、人気の高かった信次先生に対する嫉妬心である。

それでは、嫉妬心を克服するためには、どうすればいいのだろうか。僕自身がK会から学んだものも含めて、参考になればと思い、ここにまとめてみます。

まずは、自分が嫉妬しているというこを認識しなければならないと思います。誰かへのマイナス感情が、嫉妬によるものであるということに気づくのが第一歩ではないでしょうか。

次に、嫉妬している人を、冷静に見つめて、じっくりと分析してみてください。そうすると、その人は、実は自分がやりたいこと、こうなりたいなと思っていることを、少し違った形かもしれませんが、すでに実現している人ではないでしょうか。そう分析してみると、ああ、「嫌なやつだなぁ」と思っていた人が、実は自分の理想像を一部を具現化している人だったということを発見できるかもしれません。

もしそうであれば、嫉妬の対象となっている人を否定するということは、自分の理想をある意味、否定することになり、その理想を知らず知らずのうちに遠ざけていることにもなります。その時に、そういった人を逆に祝福する心を持ってみてはどうでしょうか。

たとえば、いつも上司におべっかを使い、太鼓持ちのようにして出世している人が嫌いだと思っていたとします。その嫌いなマイナスの感情は実は嫉妬心からのものだと気づくことが第一歩です。よく考えれば、実は自分も出世はしたい、それは自分の理想像の一部なのです。そうやって、その人を分析してみると、なるほど、自分がやれていないところ、たとえば、人に気を使い、他人の気持ちを先取りしながら行動している、そういった努力している事を発見するかも知れません。さすれば、その人を嫌なやつだと切って捨てるのではなく、自分にないところ、できていない部分を、祝福し、さらには、自分も工夫してまねをしてみよう、そう思えば、その人を否定してる感情も少しずつなくなっていくのではないでしょうか。

まずは嫉妬の対象者を、自分の理想を体現してるということで、祝福することから始めてみるということです。そして、その人から、自分にない部分、足らない部分を学んでいこうと考えてみてください。

それでも嫉妬心がなかなか治まらないなら、こう考えてみてください。その嫉妬の対象者が、自分の理想をなんらかの形で実現しているとして、じゃあ、今の自分を捨てて、その人自身に自分がなりたいかと。その人の、見えない部分も含めて、成り代わりたいか、と想像してみてください。その人は、結構、見えないところで苦労したりしてるかもしれません。ひとつの側面では理想に見えるけど、その他の側面は、自分のほうがいいなと思うところもあるでしょう。そして、やはり「その人よりも、自分で居る方がいいな」と思ったなら、その人への嫉妬心は消えていくのではないでしょうか。

そうです。人はそれぞれ自分自身の個別の個性を持っています。自らの個性を愛そうではありませんか。自分にしかない個性を。そうすれば、嫉妬の対象となる人の個性も見えてきます。そういうことを深く見つめ直していくことにより、嫉妬心は消えていくはずです。嫉妬している人を分析することは、その人の良い部分を見つけるとともに、自分の理想と、自らの個性を再発見することではないでしょうか。

嫉妬心を克服し、魔に隙を与えないようにしたいものです。自らの個性を精一杯煌かせながら。

今レムリアは、三歩進んで一歩後退、そんな感じの歩みでしょうか。つらいことも多いけど、気を引き締めなければなりません。仲間の手を離してはいけない。天上界の手足として、虚心坦懐に前進していきましょう。

今日のセミナーの成功を祈りながらこのダイアリをUPします。

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価値観の転換

先日堺屋太一さんが、日経新聞で「名君の許に賢臣あり」というエッセイを書かれていた。チンギス・ハンの時代や、ヨーロッパのルネッサンスの時代、そして日本においては、戦国時代や明治初期はすごく優秀な天才とでも言うべき一群の人が居たといえる。確率論として、そんな天才が特定の時期・場所に集中して生まれてくるのはありえないので、やはり1人の天才的なリーダーが普通の人を育成したのだろう、というのが堺屋さんの見解。

でも、事実は違う。ある時期・場所に使命を持って生まれた一群の人たちが生まれ出たというのが正解なのである。そういった人たちが、その使命のもと、命がけで仕事をし、輝ける時代を作ってきたのだ。堺屋さんほど、見識の豊かな素晴らしい人でも、簡単な霊的真実の基本がわかっていないのである。

堺屋さんだけではない。この日本でも、まだ多くの人が「人間は死んだら終わり」と思っているのではないだろうか。生まれる前の記憶もないし、きっと死ねば、生まれる前と同じように、意識などなくなる。ならば、生きてる間だけでも、やりたいことをやろう。他人に見つからないなら、何をやってもいいではないか。どうせ、みんな死んで終わりになる。残りの人生、好き放題やるほうが得である。といった感覚のもと、意識的ではなくとも、欲望に従属した刹那的な生き方をしている人は多いだろう。

でも、本来、そういった人たちも、魂の奥底では、ちゃんと真実をわかっているはずなのだ。生れ落ちた後に、成長するにつれ、忘れてしまったのだ。大事なことを忘れ去り、ある意味、思考停止状態で生きているとも言える。でも、ちゃんと見る目があれば、いろんなところに真実への誘いがあったし、様々な参考書はあったのだ。先人たちが残してきた様々な宗教の教えや哲学の考察、そしてマザーテレサのように自らの人生を他人の幸せに捧げるような生き方などでもって、人間はこう生きるべきだよというヒントは示されている。ましてや、日本においては、第一、第二の計画が実行され、様々なトラブルはあったけど、大いなる神理は開示されたのだ。それらに気がつかなかったのだ。

さらには、霊的な話に対して拒否感を持つ人たちも多い。確かに、幽霊などが見えたりする特異な霊的能力をすべての人が持ってるわけではないので、普通の人は霊的世界の存在を実感できないだろう。しかし、人間の誕生を考えてみればいい。受胎した細胞がどんどん分裂を繰り返しながら徐々に人間の形をとった胎児となり、母親のおなかから生まれてくる。そういった生命の神秘ひとつ考えても、よくよく考えてみれば、隠された真実を垣間見ているのではないだろうか。

母親が自分の意思でもってコントロールしているわけではないのに、胎児はちゃんと成長し、やがておなかを蹴りだし、陣痛と共に生まれてくる。そして、同じおなかから生まれた兄弟であっても、持って生まれたそれぞれの魂の個性がおのずと出てくる。ひまわりの種からはひまわりが、バラの種からはバラが間違いなく花咲くように。

そうなのです。受胎から6~10週後、生まれてくる魂は胎児の中に入り、霊体と肉体が合体することにより、人間として育っていくのです。こういった生命の神秘は、霊的な真実と呼応しており、近いうちに、科学の分野でも真実が明らかになってくることでしょう。

人間は永遠の生命を持ち、原因・結果の法則のもと、転生輪廻をしています。それも、個々人が自らの魂の成長のために、あらかじめ計画をして、何度も何度も、この地球という惑星に生まれてきているのです。時と場所、そして両親を選んで。

そうした霊的真実をあくまで受け入れずに、「死ねばおしまい」という価値観で、残りの人生を欲望のまま生きていくのでしょうか。それとも、新たな霊的価値観のもとで、自らの人生を燃焼し生きていくのでしょうか、それが問われています。

そう、後者の生き方が幸せなのです。その選択により、愛のエネルギーの奔流の中において、本当の幸せを経験できるのです。

そう、真実を教えてあげたいのです。霊的な真実が、人々の常識になり、ごく当たり前だと思われる世の中にするために。

そのためにレムリアは活動しています。

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心の教え

先日、「法の編纂」の勉強会にて、インド時代の仏陀サンガーにおいて、お釈迦様生存時には書き写すことをしなかった法を、仏滅後に初めて仏典結集という形で、その教えを書き残していったという話が出た。当時のインド時代も文字はあり、サンガーに集った弟子にはエリートも多く、お釈迦様の生存時に説法された教えを書き残そうとすれば、できたわけである。だが、伝えられるところによれば、お釈迦様は仏弟子に、その教えを言葉として書き留めることを禁止していたというのである。

それは、果たして、事実だったのだろうか?

それが心に残ってたので、先日の集会でその疑問をアマーリエさんを介して、お釈迦様の意識に聞いてみたのです。そして、その答えは、まさに、素晴らしいものでした。

お釈迦様は、その当時、弟子に教えを書き写すことをきつく戒めていたということなのです。それは、なぜか。

お釈迦様が説法を行う時、弟子の多くは、それを書き写すことに夢中になり、その教えを心にきちんと落とすことをしなかったというのです。

「法は、魂に伝わらなければ駄目。師が教えを説くときには、師の目を見て、その言葉を聞きなさい。そして、師の言葉をそのまま伝えるのではなく、あなた方の悟りでもって、他人を導きなさい」と、そういう指導をされたそうです。

お釈迦様は、あの時代に、心の教えを説きに来たのです。「教えを心で聞いて欲しい、ハートでとらえて欲しい」と言われました。

そう、法を腑に落とすということは、文字ずらを「知」でもってのみ理解するのではなく、きちんと心の底に落とすことなのです。受け売りではない、自分のものとする。自らの言葉で伝えることができるようにする。そういうことではないかと思います。

レムリアでも多くの霊言がアマーリエさんを介して降ろされています。それらを、きちんと消化して、自らの考えとして、言葉として、そして行動として表すことができるか。それも自然に。そういうことが問われているのではないでしょうか。

インド時代に仏典結集をした仏弟子たちは、エル・カンターラの再誕とともに、今回大勢生まれてきているはずです。そして、その心の教えをしっかりと学んでいるはずなのです。いたずらに「知」の世界に偏ることなく、心で学びたいものです。真実の教えを。

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レムリアの夏合宿

レムリア恒例の夏合宿が行われた。僕も初めての参加で、美しい自然に囲まれた温泉と、山や川から放射される疲れた身体を癒してくれるエネルギーが一杯の、あの「28時間の奇跡」を収録した場所をぜひ訪れてみたいと思っていたが、ついに実現したのです。

いつもレムリアの新たな展開は、夏合宿を機に訪れるという。今回も、勉強会では普段やれない一歩踏み込んだ質疑ができたし、懇親会での深夜までの白熱した議論や、アルカナの歌の合唱収録等々、実に素晴らしいものとなった。そして、合宿の最後に、海外に向けて神理を広めていく使命を持ったノイさんの涙と感動の決意表明は、まさにレムリアの新たな方向を示唆するものだった。

それとともに、特筆すべきは、あのG会で高橋信次の弟子としてかわいがられ、今から20年ほど前にK会で信次先生がOR氏を通し霊言を降ろし復活した際、真っ先に駆けつけた○○さんが、ご高齢にもかかわらず、この合宿に駆けつけてくれたことだ。もちろん信次先生に導かれて。そして、先生から直接もらった背広を着て。

○○さんとアマーリエさんが手と手を取り合う中、信次先生が降りられた。信次先生は、じっくりと○○さんの話を聞いた後、「○○さん、僕にも話させてくれ」と話始め、涙なしでは聞けない、感動の対面となった。

○○さんはK会にて信次先生が復活したということを、先生のご家族やG会のメンバーに伝えたが、なかなか信じてもらえず、逆にサタンの声だと罵倒されたりしたことを、自らの力のなさとして悔いておられた。それに対し、信次先生は、過去を悔いるのはやめて、残りの人生、神理の伝道のため、新たな一歩を踏み出して欲しいと言われました。

「今までの流れとレムリアの本を見てもわからない者には、時間とエネルギーを使い説得しても無駄。ちゃんと知らせても、それをわかろうとしないのは、個々人の自由意志の問題で、それも本人の学び。わかる人はちゃんとわかるのです。新たな時代に向かい、建設的な意味で、1人でも多くの人が神の法に触れられるように、残りの人生を費やして欲しい」と○○さんに話されました。

また、「人間は過去世ではない。過去世で名前がなくとも、皆で力を合わせて、神の計画を実現しようとして命がけになったとき、素晴らしい仕事ができる。もう後のない土壇場で、神の子としての生き様をサタンに見せてやってくれ」とレムリアに集いし者に呼びかけるとともに、○○さんには、「高橋信次が、どのように、生き、死んで、K会で復活し、K会曲がりし後レムリアにて再復活したかを、その生き様を、自分の言葉で書籍にして伝えてくれ」と頼まれたのです。

そう、○○さんは、神理の流れがG会(第一の計画)、K会(第二の計画)、そして今回のレムリア(第三の計画)へと流れてきたということを、そこに信次先生ありということを、生き証人として、世界に知らせる、後世に残していく使命があったということです。

今回の合宿を機に、きっちりと腹を括り、襲い来る魔を払いながら、さらなる飛躍をしていきたいと思います。

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人類救済に向けて

8月3日のアマーリエさんと天上界の諸霊の共同作業により、広島の暗黒の結界が崩れ、光の柱が立ち、62年間苦しみ続けた原爆被爆者たちの魂が救済されつつある。それは、今後、日本から世界に神理を発信していくための準備であるとのこと。世界に光を伝えるためには、まず日本が浄化されなければならなかった。そのためには、日本自体のカルマにも大きく関係しているところの、原爆の被爆地である広島の浄化が必要だったという。

その後に行われた関西集会(今回は西日本の決起集会として開催された)においては、芸術の側面から、神理をどう感性でもって伝えていくかということに対して、様々な試行が行われた。踊りにより、絵本により、映像により、そして音楽や歌により神理を伝えていく。そういった可能性の萌芽が、この集会で見えてきたのではないだろうか。

また、関西集会を見習って、日本各地で地域集会が開催されるようになってきた。そして、それら個別の集会は、東京の本部とネットで繋がることもでき、日本各地に張り巡らされた光の根城が、各地で協調しながら、のろしを上げているようにも思える。

法の編纂、サイエンス、芸術、医療、教育、環境問題等の専門分野に分かれた活動も、ネットを通して盛んになり、来るべき宇宙時代の理念や文化を議論しながら、それぞれがHPにて分野ごとのメッセージを発信しようとしている。

そして、待ちに待った英訳も本格的に始まりだし、英語版HPも立ち上った。いよいよ世界に向けて天上界の真意を発信する準備が着々と進みつつある。

このような形で今、レムリアは大きな勢いをもって急速に変わりつつあるように思える。第二の計画でやれなかったところの、実際の、具体的な人類救済活動が始まりつつあるのだ。

しかし、レムリアの仕事が進みそうになればなるほど、それに伴い、地下のものたちの動きもそれを阻止しようと必死になる。彼らは、そういった仕事をしないと、それこそ怖いボスに怒られて、ひどい目にあうそうな・・・。彼らは、隙があるところを狙って攪乱を仕掛けてくる。その狡猾なこと。

しかし、これまで何度もあったそんな攪乱に負けてはいられない。お互いに握り合っている仲間の手を決して離すことなく、ひとつ、ひとつ、こういった実地経験を積みながら、もっと強く、そして賢いレムリアとなっていこう。

最近降ろされた一連の霊言において、「むきだしの裸の神の子になりなさい」といったことが、様々な形で言われているように思う。裸の神の子の周りを包む皮を思い切って剥ぎとりなさいと言われているのだ。神の愛のエネルギーと一体になるために。

法は降りた。裸の神の子となり、それをどう全世界に伝え、人類を救済するか。その一歩が、踏み出されつつあります。

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愛の革命

法を腑に落とすために、集会にて霊言の勉強会を行っている。手を挙げたメンバーが、その霊言を自らどう読んだかを解説し、自分自身の学びを全員の前でプレゼンした後、全員で議論をする。もちろん集会の参加者も指定された霊言を読みこなしてくることが前提だ。ネコパンチさんに先陣を切っていただき始めた集会における霊言の勉強会においては、毎回貴重な学びがある。

先日の集会では「天界の経綸」第5章の墨子様の霊言がとりあげられ、ジェントリーさんの実践経験も踏まえた素晴らしいプレゼンの後、活発な質疑応答が行われた。そして、最後に、墨子様ご本人がアマーリエさんを介して霊言を降ろされた。非常に優しい、ゆっくりとした語り口で、時には、イエス様、そしてアモール様の意識にシフトアップしながら、愛に関して熱く熱く語って頂けた。墨子様、ありがとうございました。

墨子様は中国に生まれた際、「非攻」という言葉に象徴される非戦論を説かれました。今回の霊言でも、この平和論という問題に触れて、「妥協による表面的な平和はではなく、根本的な愛の新たな認識による心の平和がもたらすところの真の意味での平和を築いていかなければならない」と言われました。そして来るべき愛の行動・実践を「愛の革命」という言葉で表現され、「愛のソルジャー・戦士が愛の認識の革命を行う、そういった時代がこれから来る」と語られました。

来るべき「愛の革命」の時代においては、これまでの人類の業想念のすべてが焼き尽くされ 愛のエネルギーにより再構築される。そこに表面だけを繕うような目先の安易な妥協はない。大きな混乱・混沌を通過してはじめて、地球人としての一体感ができ、愛の星地球が到来する。

今は、愛の一面が総合的に出し尽くされ、混沌としている状況。今後は、愛のトータルな認識が問われることになる。それは、個々人にとっての「愛の革命」でもある。愛の扉を開くと、イエス様やアモール様と同じ愛のエネルギーがあふれ出すのだ。それを感じて欲しい。それこそが、自らが神の子であるという認識を持つということ。自らの内を見つめ、自らが何者であるのかを発見すること。それが真にわかれば、他人も神の子であり、愛のエネルギーがその中に流れている存在であることがわかり、その尊厳の前に、他人との争いということはおのずと生じなくなる。真の意味での平和がくる。

愛するものを守るため、逃げては駄目。逃げられない関係の中で学びなさい。制度に守られたような、自己欺瞞の中では愛は学べない。勇気と正義感を持って、裸のむき出しの愛を感じなさい。

他人と同じで、違わないことが良いというところから脱却しなさい。個のかけがえのない輝きで勝負しなさい。そうでないと次の時代に自分が座る席はなくなる。皆が生き生きと自らの個性を輝かしながら、やるべき使命を果たしている星となるために、ピュアな真実なる愛の道を歩みなさい。

レムリアの活動そのものが愛の実践活動。この「愛の革命」に向けて、あと一歩、いや半歩というところまで来たということです!

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時代

好きだった曲のひとつに中島みゆきの「時代」という曲がある。よくギター片手に歌ったものだ。

そんな時代も あったねと いつか話せる 日が来るわ
あんな時代も あったねと きっと笑って 話せるわ
だから今日は くよくよしないで 今日の風に 吹かれましょう

まわるまわるよ 時代は回る 喜び悲しみ くり返し
今日は別れた 恋人たちも 生まれ変わって めぐり逢うよ

そう、転生輪廻を想像させる歌詞と、少しせつないメロディー、なつかしい曲だ。

この歌詞のように、地球にもあんな時代があったんだと、現在、生きてるこの日々を、いつの日か、笑って、なつかしんで話せる時がくるはずなのだ。

ああ、あの頃は、荒い波動の肉体の中に入り、暑いときは汗なんかかいたりして、不自由な生活を送ってたね。おなかが減ったら、食事を作って食べないと苦しいし、コンビニとやらで食べ物を買ってきても、地球を汚さないようにゴミ捨てるのも大変だったね。きちんと掃除しなければ、部屋は汚くなるし。思ったことがすぐに実現する今なら、ほら、一瞬で綺麗になるのに、なんとつらい世界だったかとも思うけれども、なんだか、今考えると、なつかしいよね。

そういえば、あの時代は、地獄という世界があったんだよね。そこの親分は凄くて、地球をシフトアップさせようという活動も何度も邪魔されたね。万全の計画かと思えたものも見事につぶされ、一時はもう駄目かと思った時もあったんだ。いやぁ。いろいろ学ばされたよね、あの頃は。彼らは、まさに地球のレベルアップのために、一時的にそういう役割をしてくれてたんだ。

しかし、隠された計画があり、それにまさに適任の人も、あの時代に居たんだねぇ。そう、第三の計画を担当されたアマーリエさん、この前、金髪の本来の姿で、素晴らしい踊りを見せてもらったよ。

第三の計画もいろいろ妨害されたね。しかし、少人数ではあったけど、あの計画に集まった人たちの波動は、地球を見守る宇宙界にちゃんと届いていたんだ。そういった、気づいた一握りの人たちがいる限り、地球は新たな時代を迎えることができると、宇宙界の人たちは確信していたようだよ。

いつだろうか、確か2007年7月の終わり、宇宙暦において新年を迎えるあたりから、何かが変わりだしたんだ。あの日、緑にも見える太陽の日の出は地球を美しく輝かせた。それと同時に荘厳な音が響きわたり、地球の核の石たちが歓喜に満ちて、まるで喜んで踊るように回転しだしたんだ。あの日から地球は愛の星へ向かったんだよ。それに伴い多くの人が直感に従い行動するようになった。そう、人類は、簡単なことをただ忘れてしまっていただけなんだ。

そんな時代もあったんだよ。

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知行合一

先日の集会にて、倭比古さんがダイアリーに書いたように、アレキサンダー大王が霊言を降ろされた。

「レムリアから20冊の本が出て、新たな法は降りた。今からは、その法を実行・実践する時。その時こそ、陽なる男性パワーが必要。この時代、自由が与えられていることに感謝し、個性を煌かせながら、不退転で行動してゆけ!」といった力強いメッセージだった。

これからは、今まで降ろして編纂した法を携えて、世界に出て行き、この時代の締めくくりと、総仕上げをしなくてはならない。そのために、赤色光線のアレキサンダー様が我々の前に出てこられ、檄を飛ばされたのだ。今後、レムリアの前面に立って、指導して頂けるという。

ところで、皆さんは「Fire The Grid」という企画をご存知でしょうか。アマーリエさんからのメッセージにもあったように、レムリアとしても、この企画に賛同して、手を携えて地球を愛の祈りで包むために、皆で今日(2007年7月17日)の20時11分から行われる祈りに参加しようと思っています。

この「Fire The Grid」という企画は、カナダに住むシェリーさんという女性が、息子の瀕死状態からの復活の奇跡を経験したことを機に、「光の存在」からメッセージを受けながら進めてきたものです。シェリーさんが最初は1人で、この企画の賛同者を集めてきたのです。そして、今夜、全世界から多くの人々が賛同して行動を共にするでしょう。

シェリーさんはその講演の中で、行動指針として「まずは自分から始める、正直と誠実さをもって、楽しく」ということを言われていたように記憶しています。そう、まずは自分から行動するということが大事だと。

その通りに、シェリーさんは数年前、1人立ち、行動してきた。その結果、今夜のイベントがあるのです。ジャンヌ・ダルクも神の声に従い、戦いの先頭に立った。マザー・テレサもキリストの声を心で聞き、1人貧民街に立った。アマーリエさんも、天上界のメッセージを受け行動し、「わらしべ長者」の物語がごとく、神の声以外に何もないところから、レムリアをここまで立ち上げ、引っ張ってきたのです。

「知行合一」という言葉があります。知識をつけることは、行動することの始まりであり、行動することは、つけた知識を完成させることでもあるのです。行なわなければ、知っているとは言えない。知っていても行なわないのは、まだ知らないのと同じである。知って、行なってこそ、腑におちた本当の智恵である、という意味です。

法はもうすでに降りたのです。それを知ったら、行動に移しましょう。それが、地球シフトアップへのスタートです。

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レムリアの丸いテーブル

ピカソ霊言で、「ヒエラルキーのない、とても仲のよい平等感あふれるレムリアというのをわたしは、自由でとても愛しています」と言われているところがあります。そういったレムリアを象徴する言葉として「丸いテーブル」という言葉がよく使われます。

少し前までは、都内の小さなマンションの1室には丸い、というか楕円形のテーブルが置かれていた。皆がアマーリエさんを囲み席について、集会が行われ、そこで霊言を降ろしていたのである。その歴史的なテーブルは、中央の長方形の部分をはずして、まさに真ん丸いテーブルとなって、新しい事務所にて今も使われている。

みんなが丸テーブルにつき、その立場は平等。だれでも自由に発言でき、皆で議論をする。アマーリエさんも、皆と同じ目線で、仲間として、地球で同じく修行をする者として、この丸テーブルを囲む1人だ。ただ、役割が違うだけ。皆に、それぞれの役割がある。そしてそれぞれが貴重なのだ。それは、上下の関係を作るヒエラルキーではない。皆が手をつなぎ、様々な個性を煌かせる場。

丸いテーブルに、信頼できるメンバーが、互いに手を携えて座ることにより、一定の磁場ができる。それは、地球のシフトアップへ向けて同じほうを向いている。人数が増えてもこの構造は本質的に変わらない。この大きな大きな丸テーブル、それはまさに地球そのもの。

それに比べ、優秀な個人個人の魂の声に対し、信仰という名目でそれを押さえつけた第二の計画における組織を思い出す。本来ユートピア建設のための組織こそは、理想とする組織であるべき。なぜ、その組織の中において、破壊と闘争の波動が渦巻いたのだろうか。

あまりにもがっちりした階層組織・ヒエラルキーを作りすぎたのもひとつの原因なのかもしれない。上からの指示には意見を挟むことが出来ないし、下からの疑問・意見は無視される。そして、いやな話にはふたをして隠してしまう隠蔽体質を生み、組織の中ではメンバーは寡黙になる。

確かに、自由に議論した後の意思決定は、責任者が行い、決まれば皆が従うということは必要です。ただ、決して個々の自由な意見を無理やり押さえつけることはしてはいけない。そして、お互いの個性を大事にする。人は自分と違うから、お互いに学び合えるし、成長できるから。

地球を愛の星にするという方向性さえ間違えなければ、レムリアは自由なのです。大きな丸いテーブルに地球の同期生として互いに向きあって座りながら、自由に、個性豊かに、意見を出し合い、地球のシフトアップのために議論を積み重ねる。

こういったレムリアのあり方を大事にしたいものです。

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ピカソ霊言に学ぶ

先日の集会では霊言の勉強会があり、最新刊「天界の経綸」に収録されている第7章のピカソ様の霊言がとりあげられた。そして、アマーリエさんからこの霊言の素晴らしい解説も頂けた。

このピカソ霊言こそは、レムリアの最前線にて活動する者たちへの力強いメッセージである。

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第二の計画の初期に「偉大なる常識人」ということがよく言われた。精神世界や宗教に熱心な人は、とかく世間の常識に欠ける人が多い。それでは世の中に影響を与えられないので、霊的な神理をきちんと学んだうえで、この世的にも偉大であるような常識人であれ、という教えで、それはそれで素晴らしい教えだと思う。

ただ、今、レムリアが霊言を収録する段階から、それを全世界に広めていく実践・実行段階になった時点で、レムリアに集いし者たちが、こういった「良識的なもの」なり、「世間体」や「教条的な教え」に捉われてばかりいていいのか、そういった価値観を前提にした「おりこうさん」たちばかりで本当に世界を変えていけるのか、ということを問うているがこのピカソ霊言ではないだろうか。

この世的な見方や基準、これは地球のターニングポイントである今から大きく変っていくもの。そういった、一般の価値尺度や世間常識などで、あまりに自らを裁き、縛りすぎて、神の子としての伸びやかな魅力や個性の開花を妨げてはいないだろうか。

「偉大なる常識人」という考え方は、これで大事なことだが、レムリアの最前線においては、こういった外なる価値観にあまりにも捉われないこと、そこから自由になること、知らず知らずの自己限定をはずすこと、当たり前だと思いながらつかんでいるものを離すことが必要ではないか、と言われているのです。

「魂の鎖を解き放ちなさい!」と、ピカソ様は我々に活を入れているのです。

自己限定の鎖で縛るのはやめてみないか。「こうあらねばならない」という枠をはずしてみないか。

すべて剥ぎ取った、裸の魂で勝負しなさい。裸の神の子になりなさい。裸になることにより、逆に魔からも守られるのです。

魂として自由になり、はじめて、個々の神の子のエネルギー、すなわち愛のエネルギーは炸裂する。ダイナミックに、そして個性的に!そのエネルギーこそが、世界をこの地球を変えていく。

神様の前で後悔しない自分でありたいものです。

このピカソ霊言は「魂の自由」に関して今、我々に必要なことを教えていただいています。

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法を腑に落とす

昨年の暮れから半年の間に、まんだらけ様から、今回の新刊を含め17冊の書籍が発売された。それ以前の、たま出版からの書籍も入れると20冊あまりの霊言集がレムリアから出されたことになる。

今、レムリアに集まって来られているメンバーは、各自、仕事や家庭を抱えながら、その空き時間にレムリアの活動を行っているのが現状だ。その忙しい合間に、これらの本を手にするわけで、じっくりと霊言に向き合う時間がとれているかといえば、そうでない人たちも多いのではないだろうか。

実は、僕も、これらの書籍の何冊かは2、3回読んだが、ほとんどの書籍は1回しか目を通していないのが現状だ。ざっと読んだだけで、決して読み込んでいるとは言えない。こんなに貴重な本なのに。

法はそれを実践して、人が幸せになり、はじめて意味があることだと、繰り返し天上界から教えていただいている。

我々は、説かれた法を、噛み砕き、大いなる愛を具体化して、日々、実践できているだろうか?

他の人から見られた場合、「さすがにレムリアに集っている人は素晴らしい方ばかりですね」と思っていただける我々であろうか。大いなる愛のバイブレーションを伝えられているのだろうか?

我々の認識力、そのレベルに応じた受容力、そして影響力は、いかばかりのものであろうか。

さらに、新たな法は、それを受けとめる我々の認識力にあわせて説かれるという。認識力が低ければ、高度な法も説かれないということ。そういった意味でも、認識力を上げていかねばならない。

今、レムリアに必要なのは、これまでアマーリエさんが命を削り降ろしていただいた貴重な霊言を、再度仲間とともに互いに学びあうことではないだろうか。愛を本当の意味で、自らの血肉にするために。法をきちんと腑に落とすために。

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ウィキッド

先日、劇団四季のウィキッドを見に行った。ミュージカルでこんなに感動したのは初めて。魂の奥底からしぼり出されたようなエネルギーがすごい迫力で伝わってきて、おもわず涙があふれ出た。

主演女優陣が素晴らしい。特に緑の魔女役には、おしみない拍手をしたい。あの素晴らしい歌声から、奥に秘めた悲しみや喜びが直接ハートに伝わってくるような気がした。

しかし、あの、緑の魔女・エルファバが体現するものは何なのか。ウィキッド、邪悪とは一体何なのだろう?

動物達が声を奪われていく。良心の声を無理やり抑えられていくように。

高圧的な神殿の中で祭り上げていいった魔法の使えない魔法使い。その渦巻く支配欲と黒い陰謀。

真実を知らされない大衆。そして魔法使いに扇動される多くの善良そうな人々。

邪悪というレッテルを貼られて、魔女裁判のように追い立てられる魔力を持った緑の魔女。

まるで、第二の計画のK会の実態を彷彿とさせるようなシーンの連続に、僕自身のトラウマのようなものも巻き込みながら、天上界と地下のエネルギーが交差して渦巻いているようにも思えた。

よく芸術論として、演劇は映画と異なり、役者と観客が舞台の場を共有できることが特徴だと言われる。また、演劇はその起源において何らかの宗教祭式と結びついているとのこと。多くの文化圏で、宗教的熱狂のもとでの憑依が見いだされ、人は憑依の結果、神になり、神として語ることが、演劇のきっかけだったと言われる。

このウィキッドを見ていて、役者と観客が、舞台に渦巻くエネルギーの様々なバイブレーションを互いに共有することで、表面意識だけではなく、霊的な次元においても、自らの「ウィキッド」な部分を追体験し、それを開放できたような気がする。

皆さんは、このウィキッドから、どういったメッセージを感じることが出来るでしょうか。ぜひ機会があれば、舞台の磁場を体験してみて欲しい。

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金星の法

先週の金曜、6月22日に、東京の一角において、地球として歴史的な出来事があったことに気づいている人は、今はごくわずかであろう。遠い将来、2007年の6月22日が地球にとっての大きなターニングポイントだったこと、それだけ大きな意味があったということを、人々が知る日がきっと来るのだろう。

地球創生の頃からひとつの約束があったという。いにしえの時より、「太陽の法」が説かれる時には「金星の法」が説かれるという約束が。宇宙時代の幕開けの前に、第一、第二の救世運動の成功をもって、女性の法というものを新たに打ち出していくという計画があったのです。

今まで歴史の彼方に隠されていた、「金星の法」、またの名を「女性の法」とも言われるところの法を顕すという、そのために、10次元存在の月意識が人格化したセレニティ様が出現するということが、地球神霊、そして九次元神霊並びに地球を守ってこられた諸霊への約束事だったのです。

第二の計画の失敗により、「太陽の法」も朽ち果てようとしていたところに、第三の計画が立ち上がり、太陽が今、再び燦然と昇る可能性が開けたことにより、「金星の法」が降ろせる、今のこの地球の状態であるということを、本当に感謝したいと思います。そして、その約束が果たされたのが6月22日だったのです。その日、「金星の法」がセレニティ様より地球人類に向けて降ろされたのです。

さて、1週間前くらいから、空の雲の異変に気づかれた人もいたのではないしょうか。

全国で竜や鳳凰の形をした雲が見られるという報告が相次いだのです。倭比古さんによると、首都圏近辺でも6月17日の朝、360度全周の空におびただしい龍神・鳳凰群の出現・降下があり、その数は何百という大軍だったとのこと。彼らはセレニティ様をお守りするため、守護や警備、そして結界をはるため降下してきたそうです。

今回、10次元意識であるセレニティ様が直接霊言を降ろされるのは、地球の文明が始まって以来初めてのことなのです。アマーリエさんが命を削りながら降ろされたこの霊言に直接立ち会ったメンバーはもとより、同時に聞かれていた天上界の諸霊も感動に胸を詰まらせていたようです。

女性のエネルギー、母性は、愛により祝福することで、命の存在すべてを清め、新たな力で蘇らせて、この数日間見られた鳳凰、フェニックスのように、大空に旅立たせていくことができる、新たな時代を作ることができる力があるということです。それゆえに、女性が今、この時代に尽くす役割は大きいのです。それに気づかれた女性達よ、地球のシフトアップのために互いに手を携えてがんばりましょう。

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一瞬の判断と行動

出勤の際の電車の中での出来事でした。終点の駅に着き、電車から降りようとしたら、少し離れたシートの上に誰かの財布が残されている。誰のものだかわからないけど、一群の電車から降りようとしている人の群れの中に財布の持ち主はいるはずだ。

それまで車内で寝てたので(いつもは新聞や本を読んでるんですけど、最近は眠いのです・・・)ボーッとしてて、あれよ、あれよ、と思ってるうちに、後ろから押されるようにホームに出てしまって、入れ違いにたくさんの人が乗ってくる。ああ、あの財布はどうなったの。誰か、駅員さんに届けてくれたよね!

降りていく人は、みんな黙っていた。気づいていた人もいただろうに。僕もその一人なんで、そう強く言えないのだが・・・。その時に誰か「財布をシートに忘れてますよ!」って叫んであげれば、落とした人も気づいたろうに。

他人の痛みを自分のものとして感じるようになりたいもの。あの一瞬を逃したために、かわいそうなことをしてしまった。自分が財布を落としたことを考えれば、当座のお金をどこかで借りて、駅の「落し物係」へ行って探して、それでも結局見つからないかもしれない。財布を落とした人の大変さを考えれば、あの時、あの一瞬、声をあげていればと思う。一瞬のタイミングを逃すと、もう意味をなさない。後の祭りだ。「一瞬に正しく判断して、素早く行動する」、それを無意識にやれるようになりたいものだ。

アマーリエさんの話では、魔に対処する際には、こういった一瞬の判断が非常に重要になるという。魔の「におい」を直感的に嗅ぎ取り、瞬間的に「はじいてしまう」事ができるから、第二の計画をつぶしたようなマイナスのエネルギーが渦巻くこの地上で、天上界と繋がることができるのだ。魔を一瞬で見抜く直観力・臭覚と、素早い行動・実践力が必須なのです。

それだけではない。魔を寄せ付けない状況を作りつつ、それと同時に、「限りなく素直に受け入れる」という受容性を最大限発揮しなければ、天上界のメッセージを受けることはできない。魔をはじきながら、神のみを受け入れる。その二律背反した二つの力を同時に統合する能力がなければ、この時代、高次元専門巫女の役割は果たせない。それだけ、アマーリエさんは稀有な存在なのです。対極の力を持ち合わせた人であるのです。

レムリアの活動においては、一瞬の判断のミスが命取りにもなりかねないと言われる。まさに、断崖絶壁をバランスをとりながら歩いているようなものかもしれない。研ぎ澄ませた感覚でもって、即時の正しい判断に基づき行動ができるように、常に気をつけたいものです。

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レムリア法典を目指して!

皆さんはマヌ法典をご存知でしょうか?

マヌ法典とは、紀元前2世紀から4百年くらいかけて成立したと考えられているバラモン教やヒンズー教の教義の支柱となった法典で、世界の創造主ブラフマンの息子にして世界の父、人類の始祖たるマヌが述べたものとされています。あの、レムリアでおなじみのマヌ様ですね。

その構成は12章2684条にも及ぶ膨大なもので、その内容たるや、法律的には、国家や国王の行政に関する事項、相続法、婚姻法から、道徳論、そして宗教的には輪廻や解脱、そして宇宙論にいたるまでひとつの文化を成り立たせる理念や考え方の集大成なのです。そして、現代でもインド人の生活のみならず、インド人の内面部分、精神部分にまで深く根ざすなど、その影響力は計り知れないと言われています。

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こんなマヌ法典はどうやってできたのでしょうか。もちろん肉体を持ったマヌ様が、膨大な法典をすべてお書きになったわけではありません。マヌ様が九次元の根本法を降ろし、その磁場の中で、当時の専門家たちが分担して、様々な議論を積み重ねて作っていったのではないかと思われます。

天上界から直接降ろされたものだけでは、どうも長くは残らないようです。また、地上の人たちだけの知だけで作ったものも、長くは残らないのです。天上界の扉が開いているとき、霊天上界の指導者と三次元を生きる地上の人たちの共同作業によってこそ、長く残っていくものが作れるとのこと。結局のところ、地上のその時代を生きるものの心のヒダに共鳴する言葉を持ち、かつ神様の波動にかなうものだけが、時代を超えて後世に伝わっていくのです。

また、ただ一人、孤高にこういったことをやろうとしても、なかなか実を結ばないし、大きなうねりにはなりません。やはり、天上界の計画の中、仲間と手を取り合って、神様の手足となりやっていくところに、実力以上のものが出てくるのではないでしょうか。

今、このレムリアでも、分野別に活動母体を作り、それぞれの中において、地球を愛の星に変えていくために、その分野で何を理想として掲げ、具体的に何をすべきか、個人としてどう行動すべきかという議論を行っています。神の子人間の本来の医療はどうあるべきなのか、神理の視点から見て科学は如何にあるべきか、地球環境を守るために我々は何をすべきなのか、家庭は、教育は・・・等々。

まさに、当代一流の方がたも集まりつつあります。そしてアマーリエさんの降ろされる九次元の法の下に、互いに連携しながら、次なる新たな文化の種を発信していく、文章として残していく。これこそ、新たなマヌ法典、いや、レムリア法典ではないでしょうか。

さあ、新たなマヌ法典でもある「レムリア法典」を作りましょう。九次元の根本法が降りているときに、その磁場の中で、皆が手を取り合って!

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新緑の季節に思う

この季節の新緑は、本当にすがすがしい。僕は毎日健康のため、出勤途中に緑の公園の中を歩くのだが、木々の「緑のトンネル」をくぐっていくと、植物たちの喜びのエネルギーが伝わってくる。いつも僕にエネルギーを充電してくれて、ありがとう。緑の木々に感謝、感謝。

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こういった木々などの植物も、命があり、当然意識を持っている。今から40年ほど前、フランスのバックスターという警察官が、暇にまかせて、人間用の嘘発見器を植物に使用したら如何なものかと、たわむれに実験してみた。嘘発見器とは、生物の体内を流れる超微弱な電流の変化から、感情の変化を探る機械で、彼は、植物に水を注いだ時その水分で電気抵抗が低下することを確認したかったのだが、なんと、予想に反して、植物に付けた嘘発見器は、感情的興奮を経験している人間のと極めて似た反応を示したのです。そんなばかなっと思ったバックスターは、植物の葉を焼いてみようと思い、そう思った瞬間、嘘発見器に劇的な変化が現れました。植物は彼の心を読み取ってしまったのです。

バックスター効果とも呼ばれる、この発見により、今なら当たり前とも思える、「植物にも意識がある」ということが明らかにされました。愛された植物はすくすく育つし、モーツアルトを聞かされた野菜はおいしいとか。お花の妖精とは話することもできるそうですし(事実、アマーリエさんはよくお話しています)、長く生きている神社の老木などの意識には、高度なものがあるとも言われます。

緑の美しい植物たち、これは遠い昔にオリオンから地球に持ってきたものの子孫が多いと言われています。オリオンの使命のひとつに、緑の種を伝播するということもあり、巨大な宇宙船にて地球環境に合う植物を選び、運んできてくれたとのこと。そうして、地球に根付いた植物たちが、この地球で我々人間の住む環境を下支えしてくれています。今、植物たちは、この地球の行く末について、どう感じているのでしょうか。

植物はもとより、鉱物にだって、命があり、それなりの意識もあるのです。そう、地球に住んでいる、鉱物、動・植物、そして人間は、すべて神のエネルギー、生命の表れなのです。その現れ方にレベルをつけ、様々な多様なあり方を是としているのが地球の姿なのです。そして、この巨大な宇宙船、地球号。この地球も、実は意識を持っています。大いなる神霊が、自分自身の身体を投げ出して、そこに住むすべての生命を育みながら、修行をしているというのが地球の真実の姿なのです。

その地球が苦しんでいるということを感じている人々も少なくはないでしょう。「自分のみ良ければいい」という形で、人間の犯した環境破壊による気象異常、様々な天変地異。地球は泣いています。

地球を救いたいのです。今の地球が、これまでの人間の思いと行いにより危機に陥ってるのなら、それを変えていくしかありません。これからの人間たちの思いと行いを「地球全体が良くなるように」という形に変えていくのです。美しい地球のためにも。いつもお世話になっている、緑の植物のためにも。

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霊界通信のメカニズム

先日の集会では、すごい雷雨の直後、高橋信次先生が霊言を降ろされました。実は、前回の集会で初めて来られた政治学を教えている大学の先生が、K会から出版された「○○○の大警告」について質問があると言うので、それなら本人に直接答えて頂こうということで、信次先生本人のお出ましとなったわけです。

この霊言の中において、信次先生は、「○○○の大警告」が出た頃のK会において、OR氏の通信機能は天上界の意思を反映しなかったということを明かされています。

霊界通信とは霊媒になる人の、個性や知的バックグランド、霊的認識により、天上界の霊人が同じ通信をしたとしても、それを言語化・翻訳する時に変わってしまうということです。もし、その霊媒に強い「とらわれ」などがあった場合、そういうものに左右されてしまい、通信が素直に伝わらず、曲がってしまうこともあるのです。

霊的通信をする時には、その磁場は霊界に繋がっています。霊媒は自分を明け渡している、受身の状態になり、霊的には無防備な状態になっているとのこと。そして、その磁場は、上の天上界だけではなく、下の地獄界からも繋がってしまうのです。だから、霊媒は、上からの通信だけではなく、下からも「隙があれば、入れてやろう」という通信を同時に受けることになり、その感性、心境がどちらに向いてたかで、強い影響を受け、その結果が霊言となり、後に残るわけです。

すなわち同じ通信を行ったとしても、霊媒の能力のキャパと個性により霊言内容は変わってくるということ。そして、その霊媒の心境によって、内容はぶれてくるということです。

OR氏の場合は、膨大な知はあったが、あふれる愛の思いがなくなった時、その霊界通信は曲がっていき、ついには天上界との通信は途切れてしまいました。九次元であろうと、人格霊であり、修行をしているという謙虚な心を忘れ、自分はピラミッドの頂点にいるんだという、自らを偉しとする思いが、人々を支配する方向に行ってしまったのです。過去世の記憶からの「比丘、比丘尼たちよ」と上から呼び掛けるスタイルをとりながら、三宝帰依というシステムを使って、人の心を縛り付けて、考えること・自由意志を奪い、支配下に置いておくという「サタンの論理」に同通していったのです。悲しいかな、世界を救っていく救世主ではなく、この世を征服する支配者になろうとして。

このように、霊界通信というのは、霊媒を介した、ある意味では壮絶な天上界と地獄界との戦いの場でもあるという一面があります。そのために戦闘系の者たちは、地上界と天上界で協力しながら結界をはり、磁場を守り、下の影響をできるだけ食い止めようとしているのです。

集会に集まる参加者も、その磁場を壊さないよう、天上界から見られても恥ずかしくない心境でもって、霊言通信の場に臨みたいものです。

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霊言を聞くに際して

先日の集会では、日蓮様の今後の霊言の方針についてのお話に引き続き、木花咲耶媛命が霊言を降ろされました。

日蓮様によると、今、レムリアでスタートしつつある様々な活動に向けて、その指針になるようなものを、一番適切な霊人にお話してもらう予定だとのことです。法の編纂の勉強会にて、すでに日蓮様が法の編纂の指針についての霊言を降ろされましたし、この前の坂本龍馬様の霊言は、次世代を担う青年部に向けたものとのこと。今回の木花咲耶媛命はもちろん、「女性の法」の一番バッターということで、婦人部に向けたものでした。

さて、アマーリエさんが自らの身を削りながら、また霊言を再開されたわけですが、この貴重な霊言を、レムリアに集まりし者たちはどう聞いていくべきなのでしょうか。これら霊言を、どう捉えて、レムリアの活動のエネルギーにしながら、より多くの人に役に立つ形で後世に残していくかは、我々の大きな課題でもあると思います。

霊言を聞かせていただく際に、心しておかなければならないこととして、どういうことがあるのでしょうか。

まず1つは、霊言で指示されないと動けない、「指示待ち族」のようになってはいないか?

霊言を受身で聞くだけでは駄目だと思うのです。活動の主体はあくまでも肉体を持った三次元の我々であるのです。我々のやる気が先になければならないと思います。自力における推進力があってこそ、その方向付けについてのアドバイスをしていただける、ブラッシュアップをしていただける、そういった意味での霊言ではないのか、と思います。

2つめに、すぐに「あんちょこ」を欲しがる、怠惰な学生のようになっていないか?

この三次元においての「答え」は、悩み苦しんだ後に、そのプロセスを経て、初めて与えられるのではないでしょうか。それが肉体修行の意味でもあるはず。はじめから安易に答えは与えられないということです。「人事を尽くして天命を待つ」ということは、霊言を聞く姿勢においても同じだと思います。

最後に、霊言に慣れっこになってはいないか?

毎回霊言を聞いていると、霊言が普通の出来事のように思えてくるかもしれないが、そういった時こそ、霊言を初めて聞いた初心・原点に戻らなければならないと思います。常に大いなる感謝と感動とともに、霊言を聞かせていただきたいものですし、ましてや、霊言におんぶにだっこ状態の「霊言依存症」になってはいけないのです。

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愛の星への夢

東京のサラリーマンは毎日通勤ラッシュで大変です。特に4月は、新入社員がどっと会社に来るのか、電車やバスは混んでいます。もう東京は人が集まりすぎて、受け入れのキャパがパンクしつつあるようです。

朝のラッシュはすごいですよ。みんな、狭いところに押し込められて。そして、誰かに押された、足を踏まれた、肩があたったとかいって、不機嫌そうな顔をしてる人もいます。押されたんで、「このやろー」って、押し返したりして。

でも、その押された人を、よーく見てみて、その人があなたの知人だったとしたら、どうでしょう。他人だと思っているから、「むかーっ」とするけど、その人が、あれ、知ってるあの人じゃないかと気づいたら、その瞬間、「互いに大変だね」、「押してごめんね」、「もう少し我慢しようね」って優しい気持ちになりませんか。

他人だと思ってるから、嫌な思いになったり、はたまた喧嘩になったりするのです。でも、そうした人が実は知人だったり、ましてや血を分けた親族だったとしたら、どうでしょう。不機嫌になったり、やられたことをやり返したりといったことはしないですよね。

日々お会いする、すべての人々が、皆、自分と何らかの形で繋がっている知人だ、自分の親族だと思ったら、彼らとの間に、ほとんどの争いごとはなくなるのではないでしょうか。事実、人間は神の子で、ある意味では、みんな魂の兄弟であり、繋がっているのです。

皆が神の子で、自他は一体、お互いに兄弟だと思えば、自らの心の「鎧」を脱ぎ捨てて、素直に、そしてピュアに、人とつき合える世界が来るはずです。互いに信じることができ、互いの価値を認めあい、互いに裁くことない世界が。

そんな世界に住みたいなぁって、通勤電車に乗りながら考えていました。

レムリアはこの地球を「愛の星」にしたいなぁと思っています。じゃぁ、「愛の星」地球ってどういう星なのでしょう。これを具体的にイメージしたいですね。ああ、ぜひ、こんな星に住みたいなぁ、こんな星にしたいなぁって思いを語り合いたいものです。

夢こそが、現実を引き寄せることのできる、大きな力を持っているドライビング・ホース、道先案内人、駆動力なのです。

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レムリア・ルネッサンスの法について

ある方から、レムリアは内輪のメンバーのことばかりが霊言になっているというコメントがありました。

これについては、レムリアとしての明瞭なスタンスがあります。

第三の計画・レムリアでも、根本法そのものの普遍的表現は、当然存在しますが、さらに、法の実践、応用編としての具体的な内容がたくさんあります。これは、法のケーススタディ、さらには対話編と同じように、具体性を持って法を語る事で、分かりやすくなるという効果があります。

レムリアでは、法は地に足がついた現実的なものである、という事を表す意味で、こうした個々のケーススタディからの学びを重視していると言ってよいと思います。具体的な方が、法が分かりやすいという事です。

さらに、具体的な出来事や相手に対して伝えておりながら、その内容は、第三者が読んでも自らに照らし合わせて参考になるものであり、決して普遍性がない訳ではありません。すなわち、具体的なその物事、対象者だけに伝えられているメッセージというだけではないのです。同時に、すべての人に向けたメッセージともなっているのです。

これが天上界の伝統的なやり方でもあります。普遍的メッセージだけを聖典や教典に残したでしょうか? 実は全くそんな事はありません。それは、古今東西の宗教の聖典を見れば分かる事です。聖書では、預言者の言行録の中で、個々の出来事や人に対して言った言葉も、含めて残されております。プラトンなど哲学者の本の対話編もそうです。論語もそうです。いろいろな教えが、そのように、ケーススタディを人類の遺産として記録し、伝え、蓄積していくことで、学んだ人が自分に当てはめるのです。

法は生きたものであり、マクロもミクロも含まれており、いかなるミクロの、日常の事からでも語れるのが法です。あたかも高邁な、崇高な事柄だけが法であるということはありません。もちろん、それも当然含まれるのです。しかし、神の現れとは、マクロにも、とうぜんミクロにも遍在しており、いかなるところからでも、神を発見でき、魂の向上のために学ぶ事ができるのだと思うのです。

ケーススタディだからこそ、浮き世離れした感じではなく、迫力に満ちた、魂に響いてくる事にもなると思います。そうでないと自分の事として照らし合わせたりしないのではないでしょうか。

まもなく来るところの、変革の時代、混乱の時代に、魔と対峙しての戦い方をきちんと具体論として残しておかなければなりません。法を実践できるところに具体化をしておとしているというのも、レムリアの大きな特徴なのです。

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坂本龍馬様の霊言

先週のレムリアの集会では坂本龍馬様が霊言を降ろされました。集会としては一番多くの人が集まったのではないでしょうか。熱気むんむんの中、時間超過のストップ役として、日蓮様が見守る中、あの龍馬様のスケールの大きな波動を伴いながら、霊言が始まりました。好きな日本酒を口にしながら、龍馬様は一方的に話するだけではなく、集まった人に個々に呼びかけ、叱咤激励しながら(僕もなんか、怒られちゃいました・・・)、あっと気づけば、もはや時間超過です。日蓮様のストップで、一旦は終わったものの、今度は劉備玄徳様の意識でお話が始まりだし、なんとトータルで1時間半を超える霊言になりました。本当にアマーリエさん、お疲れ様でした。

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今回の霊言では、「将来の地球に対するしっかりとした共通のビジョン・夢・希望を描き、信念を持って信じ続け、それを現実に引き寄せていきなさい」、「仲間と夢を共有し、大義のために命を捨てなさい」などのメッセージを頂きました。

龍馬様が明治維新の前に夢見たところの、日本のあるべき姿と同じように、我々も今度はスケールアップして、世界維新を経た、宇宙時代の幕開けを飾るような地球のあるべき姿をしっかりと描き、腑に落としていかなければならないのでしょう。人間は夢がないと動けません。夢があるから、希望があるから、わくわくして行動できるのです。そういった、魅力のある、目指すべき地球の姿をビビッドに描きたいものです。早く、そういった地球に変えていきたいという、強い強い思いこそが、夢を現実に引き寄せるのではないでしょうか。

その共通な夢のもと、今後、レムリアに集まる個々の人間として、具体的に実行できるものとして、何をやっていくのか、1年後、3年後、10年後にどういう姿を目指していくのか、様々な活動分野においても、できるだけリアルなビジョンとして描きたいものです。

レムリアがこれからやろうとしてることは、地球のすべての人に意識を変えてもらう。すなわち、「すべての人間は神の子である」、「魂は永遠で、転生輪廻している」という2つの事実を、世界の人々の常識にしていこうという活動だと思っています。その後、激動の社会改革が始まり、様々なシステムの変革等があるのでしょう。 でも、その前に地球の人間の意識改革・変革が必須なわけで、それを現実に、我々が行動して、我々の手で、この地上に実現していかなければならないと思っています。

ただ、霊言を聞いて、ああ良かったでは、第二の計画と同じです。実践がなければ、どんな良い考えも、何の意味もないのです。もう、地球においては、足元に火がついてるのです。今からは、夢の実現のための行動こそが必要なのではないでしょうか。人々の意識変革のために、どう動くのか、一歩踏み出すのか、そのための夢であり、ビジョン、これをしっかりと具体化し、共にこの地球に命を持った同期生として、皆で共有していこうではありませんか。

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霊言の再開

先日、「法の編纂」チームの勉強会に、アマーリエさんが何の予告もなくお見えになり、日蓮聖人の霊言を降ろされました。そして、その霊言の中で、「これから天上界からの霊言を降ろすことを再開する」との宣言がありました。この正月に、天照様と信次先生が新年の挨拶として霊言を降ろされて以降、アマーリエさんの体調が良くないこともあり、天上界は霊言を降ろすのを控えていたのです。

この三次元世界で霊言を降ろすには大きなエネルギーが必要で、それには、まだその原理はよくわからないところもあるのですが、エネルギー役の肉体を持った人の協力が必要なのです。ところが昨年末、そうしたエネルギー役の方がレムリアを去ってしまったのです。エネルギー役の欠如は、霊言を降ろすことに大きな支障をもたらし、アマーリエさんの生体エネルギーの枯渇を招きました。そしてこの事件は、「高橋信次 再復活3」の書籍の最終章で語られているように、レムリア号に大ピンチをもたらしたのです。

しかし、思いもよらない十次元神霊の聖アントニウス様とセレニティ様の助力もあり、なんとかその絶対絶命の危機を乗り越えることができたのです。そして、うれしいことに、第1回セミナーの前後にかけ、新たなエネルギー役の方がたが来られたのです。天上界のマヌ様の指導のもと、地上の新たなエネルギー役の方がアマーリエさんにエネルギーの補給を行うことにより、彼女の体調も少しずつ回復しつつあります。ありがとうございます。

この体調の回復をもって、時間はこれまでの1時間の半分の30分にして、少しずつ霊言を降ろしていくことになりました。まずは、出たくてしょうがない竜馬様が次の予定だそうです。日蓮様が竜馬様の情熱に「負けました」とおっしゃっていました。そして、今年のメインでもある「女性の法」を、小桜姫様から出ていただくようなことも検討しています。できたての婦人部の集まりにて、霊言を降ろす予定とのこと。婦人部にも男性陣が押しかけそうですね。

新たな霊言の再開を喜びたいと思います。今後降ろされる霊言を、大切に、大切に、噛みしめていきたいと思います。天上界のパイプが開かれている、貴重な奇跡のような時に、霊言を聞けることのできる幸せを神に感謝しましょう。

なお、こういった霊言をボイスレコーダーで録音したものを、過去のものから順次CD化して、まんだらけ様にて4月20日より販売して頂きます。ぜひ、これら霊言のCDをお聞きください。そして、天上界のバイブレーションを、心で確かめてください。今、現在が奇跡の時であることを確認するために。

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法の編纂に向けて

法の編纂チームの勉強会にて、多くの黄金光線の仏弟子の指導霊の方々の見守る中で、日蓮聖人が霊言を降ろされました。法の編纂の活動が始まり、居てもたってもおられなかったとのことです。

日蓮様は、「法の編纂はレムリアの様々な活動においても、もっとも重要なもののひとつで、そのために黄金光線の者が先に出てきている。神理のテキスト化は天上界が待ちわびていたもの。皆さんの知恵と経験で、最高のものを後世に残して欲しい」ということで、この勉強会の進め方、今後の書籍化などをどういう考え方で進めていくべきかをお話されました。

この「編纂」という仕事は、ただ天上界の霊言を口移で残すということではなく、宗教に関心のないような人々に対し、神理をいかに、かみくだき、ふさわしい言葉をどう選んで伝えるかという、大きな愛の修行でもある。この時代を生きる者の心のひだに共鳴する言葉を残せるのは、悩み・苦しみ・悲しみを共有した同時代を生きている者だけ。苦労して努力する中にインスピレーションも降りる。編纂の仕事においては苦労を厭ってはならない。過去世を通じ、どれだけ神理を学んできたのか、その実力が今から試されるのです。

以下は日蓮様の今回の霊言の最後の言葉です。黄金光線の皆さん、涙とともに聞いてください。

法なき道というものは無明であります。どうかこの真っ暗なこの時代の中を、明明と照らすことができる、それは宇宙を貫く神の神理の法灯であります。

これを、しっかりと、正しい法をこの時代に残し、そして未来に向けて、その灯火(ともしび)で明るく道を照らし出し、多くの神の子たちに、行くべき道を指し示すのが、この時代に降りた者たちの、この神の計画に携わることができた者たちの使命であり責任であると私は思います。

ともに神の仕事をなしましょう。この編纂の仕事はもっとも尊い仕事、神より祝福され、神に期待された、もっとも価値ある仕事であると私は思います。どうか、あなたがたの思い、われらが思い、そして、できずに消えていった者たちの無念の思いまで、皆様がたの仕事の中において、この時代に残されていくこと。

素晴らしい業績をあげようではありませんか。ともに、私たちも協力いたします。あなた方も協力してください。天上界と地上に降りたる光の天使たちで、共に手を取り合い、素晴らしい、少しでも素晴らしい、地球の、今の時代の、法というものを、この時代に残して帰って来ていただきたいと思います。

残していこうではありませんか。あなたがたは一人ではない。こんなに仲間がいます。そして今、天地を貫くパイプがあり、天上界の者たちも皆、あなたがたを応援しております。天地一体となりて、神の普遍の神理を、この地上に残すために、この第三の計画は続行されたのであると、そのように信じて、これからの仕事をなしてまいりたいと思います。

法の編纂チーム、今宵よりあなたがたは、この地上において、人生最後の本懐を遂げる使命を開始されたのだと、魂に刻まれて、この仕事に取り組んでいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

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天上界のお祭り

3/22の午前3時くらいでしょうか、アマーリエさんは、導きにより、幽体離脱して、赤坂の上空に行かれたそうです。すごく大きなエネルギーを持った、祭囃子の音や掛け声が聞こえてきます。大きな太鼓の音や、笛の音、それも聞いたことのないような心に響く形で。見てみると、多くの人たちが集まっています。パレードか、なにかのようです。

アマーリエさんがそれらの人々に焦点を当ててみると、なんと、レムリアのメンバーたちが見えるではないですか。みんな祭りの半被を着ています。それぞれ、着こなしを工夫して。中には真っ赤な洋服を着た人や、それぞれ思い思いの格好をしてる人もいます。

みんな掛け声をかけながら、踊っています。見たことのないような踊りです。一定のパターンに沿いながら、でも、個性豊かに、個々の振り付けを工夫しながら。すごい熱気です。すごく踊りのうまい人もいます。みんな、喜んで、楽しく踊っています。それでも、前の人、横の人との間合いを一定にとりながら、個々はそれなりに自由に踊りながらも、全体として秩序だった踊りのパレードなのです。

レムリアを去った人も踊っています。顔はこわばってるけど、身体は楽しんで踊っています。知らない人たちもいっぱいいます。彼らはこれからレムリアを手伝ってくれる人たちでしょう。外人の方々もたくさん踊っていますよ。世界各地で、レムリアからの救世の発信を待ってるのでしょう。次世代を担う、孔子様やアポロン様も、子供たちのグループで踊っていますよ。ちょっと、まだぎこちない踊りかな。でも一生懸命踊っています。

どうも、この踊りのイベントは日本神道の神様の主催で行われてるらしく、竜神のおじいさんたちをはじめとして、
仙女さんたちは色っぽく、乙姫さまたちは本当にあでやかに踊っていらっしゃいます。そして、踊りのパレードを見下ろせる、桟敷席のようなところに、九次元の先生がたが、踊りを見てらっしゃいます。エル・ランティ様やモーリャ様、そしてアモール様も微笑みながら見ていらっしゃいます。ああっ、あのマヌ様が、集まってきた踊り手たちに、お花を投げていますよ。さすが、マヌ様、女性に人気がありますね。マヌ様からのお花を受け取って、感激のあまり「キャー」って叫んでる人もいますよ。心当たりはありませんか?

どうも、このお祭り、このレムリアのために催されたようです。高橋信次先生の3巻目の霊言集が出版され、まんだらけさんからの15冊の書籍が世に出たということ。さすが、信次先生、売れ行きもよさそうです。そして2月のセミナーの後、様々な力のある方々も集まり、体制も整備されつつあります。そういうことを天上界で祝っていただいていたようです。激励の意味もこめて。さあ、今からどんどんおもしろくなりそうです。この天上界の踊りのように、地球を愛の星に変えるための大いなる目的のもと、レムリアとしての一定の秩序の中において、自由に、楽しく、そして気を抜かずに、頑張って参りましょう!

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絶対的時間と相対的時間

時間って何だろうってよく考える。それを考えているうちに、時間がたってしまう。でも時間の経過って、どういう事なんだろう。

すべての存在には、その背後に、それを存在としてあらしめている念いがあるという。念いの根源には、神の意思、愛の念いがある。

そして、すべての存在は、時間という流れに入ることにより活動を開始するのだといわれる。時間は存在の中に内包されており、存在の変転をつかさどる。そうした神の光の動き、そのものが時間の本質だそうな。

でも、僕らの地上的感覚からいえば、時間は時計が刻むもの。そして、その時計の基準は地球の自転や公転、そういう天体の動きをもとに計られている。こういった時間は、相対的時間といわれる。

それに比べ、神意、神の意に沿うことにどれだけの時間を注いだかということ、その時間を絶対的時間というのだそうだ。

真に価値のあるものに費やした時間と、そうでない時間とは、その価値において大いなる違いがあるということを教えるために、その二つの時間を区別しているとのこと。

この絶対的時間って感覚がよくわからなかったけれど、レムリアの活動に加わってから以降、どうも、時間の感覚が異なるのだ。まだ、お手伝いさせていただきはじめて、ほんの数ヶ月なのに、もう何年も時間がたった感じがする。他のレムリアのメンバーもそうらしい。1ヵ月が1年くらいの感覚なのだ。

これが、絶対的時間を過ごしている感覚なのだろうか。もしそうなら、絶対的時間とは、喜びの時間であり、かつ魂の大いなる飛躍と成長のチャンスの時間でもあるのだろう。この絶対的時間を、より多くとればとるほど、素晴らしい人生を送れるわけだ。

そう思いながらも、時間はたっていく。そして、時間の本質って、あの世に帰るまでは理解することができないものかもしれない。いずれにせよ、今、地上に生きている以上は、永遠の今をより良く生きるため、有効に時間を使っていく以外に、他に選択肢はないのだから・・・。絶対的時間をできるだけ多くとれるように努力しながら。

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葬儀に参列して

お世話になった方の葬儀に参列した。まだ若くして亡くなったので、多くの方が集まっていた。

悲しみでどっと涙する人から、半ば義務感?で来られた人から、参列者の思いは様々だ。

それを、亡くなった本人は、棺の中の肉体から出て、霊として、それぞれの参列者の思いを感じとっていたのだろう。

ディケンズが書いた「クリスマス・キャロル」という小説がある。お金の亡者であるスクルージが、精霊に自分の死のシーンを見せられることにより、衝撃を受けて、それをきっかけに、人生を変えていくという物語だ。

このスクルージのように、自らの死におけるその葬儀の状況を想像してみて欲しい。果たして、たくさんの人が参列してくれるのだろうか。それらの人は、どういう思いで自分を見送ってくれるのだろうか。いかほどの人が涙してくれるのだろうか。多くの人に「もっと居てくれたら良かったのに」って思われるのだろうか。

人間というものは、神から分かれてきた存在であり、神は愛であるとも言われます。すなわち、人間は愛そのものの一部なのです。

さすれば、愛の存在として今世をどう生きたかということが、一生を終えた時に、問われるのでしょう。人を愛し、人のために尽くすことができたのか。どれだけの愛を周りに、そして世界に与えることができたのか。愛の原理の中で、有用な役割を果たすことができたのか。

人間は誰しも死を迎え、この世から去っていく時が来ます。その時に、「ああ、しまった」、「愛の実践が足らなかった」って、後悔しないようにしたい。

そして、その時の無念さを想像できたら、今、この時から、これからの残りの人生は変えていける。あのスクルージのように。

自らの死のシーンを、時々、頭に思い描きながら、生きていきたい。

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巫女の苦しみ

久しぶりに、仕事で外人と英語のミーティングを行った。通訳が同時通訳をしてくれるのだが、意思疎通がうまくいったかというと、不完全燃焼だったという感はぬぐえない。特に専門領域の話だと、通訳の人も、その方面の知識がないと、なかなか言いたいことが伝わらない。言葉の壁だけではなく、認識の壁もあるのだろう。いずれにしても、通訳は大変だと思う。

この地上での他言語間の通訳でも大変なのに、これが異次元間の通訳となると、大変どころの騒ぎではないのだろう。霊界通信、それも霊言を降ろすというのは、本当に大変なことだと思う。異次元からの波動を言語中枢を通して、リアルタイムで翻訳していくのだ。それも、高次元からの通信となると、そのバイブレーション、そのエネルギーたるや、ものすごく巨大で、地上の肉体に非常に大きな負荷がかかるという。翻訳を司る言語中枢を持つ脳が、あたかも焼き切れるように感じるとのことだし、三次元の肉体を維持している生体エネルギーも大量に消費するそうだ。

通常、昔のレムリア時代も、そして日本神道などでも、こういう霊言を降ろすといった仕事は、巫女さん達がグループを作り、結界を張り、磁場を調整しながら、作法に則って神様の言葉を降ろしてきたのです。それでも、多くの巫女さんたちは、「巫女病」とも呼ばれるような原因不明の病で(というか霊言降ろしによる生体エネルギーの枯渇がその原因とのことですが、地上の医学ではわからないのです)、体を壊し、早死にしていったようです。今回のレムリアでは、本来なら磁場を整えた降霊所で集団でやるべき仕事を、巫女役のアマーリエさんが、ほとんど1人で、磁場を整え、天上界にチャンネルを合わせて、霊言を次々と降ろしてきたのです。

そもそも、この地上で、高次元からの霊言を降ろすということは、波長同通の法則からいっても、尋常ではないことなのです。九次元の霊言が降りるということは、例外中の例外で、奇跡そのものなのです。レムリアでは天上界の力をお借りしながら、その驚くべき奇跡が行なわれてきたのですが、例外ということは、それだけの無理をしているということで、その代償も大きいのです。

この地球の希望を一身に引き受け、己の身体を犠牲にして、今後の人類の指針となるべき、素晴らしい、高次元からの霊言を降ろしてきたアマーリエさんに、心から、ご苦労様、ありがとうございましたと言いたいのです。

私たちは常にこのことを念頭に置き、過酷な犠牲を伴い我々に与えられた貴重な霊言を、大いなる感謝と共に、大事に大事に後世に残し、かつそれを具体化して、日々実践していかねばならない。それが、こういった事実を知った私たちの義務でもあると思っています。アマーリエさんの振る旗のもとで。

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光の天使版「オーラの泉」?

最近のレムリアの集会には、第1回セミナーに来られた方を中心に、様々な人が事務所を訪れてくる。みんなでアマーリエさんを囲み話を始めると、さながら、光の天使版「オーラの泉」といった様相を呈してくる。

新たにこられた方とワインでの乾杯がそのスタートの合図。ワインでグラスを合わせる乾杯はしないそうですが、ここはさすが?レムリア、グラスを合わせて賑やかに乾杯。「いらっしゃいませ、ようこそレムリアへ!」

新たな来客者は「スピリチュアル・チェック」ではないけど、自己紹介をしてもらいながら、その人の波動を見させていただきます。といっても、僕にはよくわからないけど・・・。デルさんは少し霊視がきくようになってきたみたいで、後ろに立っている守護霊さんの姿がどうも見えるらしい。当然、アマーリエさんはいわずがもがなですよね。

守護霊さんもいろいろ個性があり、堂々と自己主張なさる方から、恥ずかしそうにされている方、あまり自分を見せない方などおられるそうな。

レムリアでは過去世認定は基本的に行わない。過去世を詳細に知ることが、第一、第二の計画の経験においても、本人の修行にプラスになることより、マイナスになることの方が多かったからだ。

人間は過去世の記憶を忘れ、白紙で生まれてくるもの。もし、過去世を知ってしまうとそれに捕らわれてしまい、本来の修行に支障をきたすことも多い。

あなたの過去世は、歴史に残る素晴らしい方であったと告げられた途端、天狗になり増長慢で転落してしまったり、はたまた、重圧に押しつぶされてしまう人もいるかもしれない。過去世が逆に、たいしたことがなかった場合も、やっぱりそうかと自己卑下して、今世もどうせ駄目だ、などと向上をあきらめちゃったりする人もいるのだろう。この今世、現在のこの一瞬一瞬が人生の勝負なのに。過去世はあくまで参考でしかない。

集会では、その人となりを皆で感じながら、これからレムリアで何をやっていきたいかをお聞きする。法の編纂をやりたいのか、芸術関係で羽ばたきたいのか、社会改革に向けた行動派なのか等々。そこに、その人固有の、その人の個性に応じた、本来の使命が徐々に見えてくる。なるほど、過去これこれしかじかの経緯で、こうなっていたのか、そしてこうするべきなのね、などと「オーラの泉」の国分さんのような気分になり、感動を共有させていただいてます。

今レムリアには、様々な力のある方々が集まりつつあります。第二の計画で小乗のフェーズが終了した後、本来展開すべきであった、大乗のフェーズの計画が、遅ればせながら、今やっと始まりつつあるのです。地球を愛の星とするための、実践活動開始の火蓋が切られたようです。

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三次元に生きる意味

僕らは、何のために人間として生まれてきているのだろうか?

もともと僕らが居た世界、霊的な世界は理想郷であり、愛と調和の世界のはず。それが、なにゆえにこの三次元の波動の悪い物質世界に、わざわざ苦労をするために生まれてくるのでしょうか。

もちろん「修行」のためと言われます。では何のための修行なのでしょう?それは、この地上での様々な経験をしながら、霊的に進歩するため。それが、模範解答のはずです。

先日、ある人から「昔と変わってないですねぇ」って言われてしまった。昔というのはずーっと遠い昔、この地球へ来た頃?なんだそうな・・・・。

ああ、地球で幾転生もして、苦労もしたし、失敗なんかもやらかしたりしたんだろうけど。結局のところ、あまり変わっていないのかしら、つまり、あんまり進化もしてないのかしらね・・・・。まぁ、進化はしてないけど、退化しないですんだとすれば、それでも良かったとも言えるのかもしれないし・・・。

地球にはいろいろな星から、多くの宇宙人たちが移り住んできた歴史があるという。そもそも、今の地球は「小学校」レベルの星だと言われるので、もっと進化している「中学校」や「高校」くらいの星から地球に来ている人たちは、まさに、わざわざ苦労しに地球に来ているようにも見える。地球の神様から請われて、新たな修行場の建設を手伝おうという奉仕の目的で来られたのだろうけど。でも、それに賛同した人たちは、フロンティア精神、チャレンジ精神が旺盛なんだろうね。そして、そういう人たちにとって、地球って魅力的だったんだろう。わざわざ、宇宙船の大船団を組んで、危険を冒してまで、宇宙を旅して地球に移住しに来たのだから。遠い昔に。

自分自身の進化のため、そして奉仕のため、がんばろうと思ってこの地球にやって来たのだけれども、慣れない地球の、ハードな三次元修行の途上で、見事?失敗して地獄に落ちちゃって、もがいた人たちもいたことだろう。こんなにも今、地獄の人口が増えて、地球が悲しみの声をあげているのだから。そういう人たちにとっては、地球での修行が結果的に霊格を落とすことになったのかもしれない。

でも、今世は時代のターニングポイントの真っ只中、これまでの失敗を挽回するチャンスとしての、総合的な勝負の時なのかもしれない。せっかく、いろんな星からこの美しい地球に来て、様々な文明実験に参加して、最後は「素晴らしい経験ができて本当に良かったね」ということにしたいですね。

何を言いたいのか。やはり、この一瞬をがんばって生きなければ、遠い星からこの地球へやってきた意味はないかなぁって思ったのです。肉体を持っている今の僕は、過去も、来るべき未来も、よく認識はできない。なら、認識できるところの今、この現在を、そう、「永遠の今」を、ちょうどこれまでの学習の卒業試験を受けるつもりで生ききっていくしかないと思ったのです。

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一日一生

一日一生という言葉が好きだ。

聖書の中に「明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」という言葉があります。

ともすれば、我々はすでに過ぎ去った過去のことにとらわれ、時には、数十年前の失敗を引きずったり、はたまた、過去世のトラウマを抱えて潜在意識で苦しんだりします。そして、まだ来ていない未来のことを思い煩い、それも、数十年先、中には数百年先の自分が死んだ後のことまでを、どうなるのかなどと思い煩ったりします。それら「持ち越し苦労」と「取り越し苦労」、そして「今日一日現在の苦労」の三つの苦労を背負って苦しんでいる方も多いのではないでしょうか。

そもそも、我々は過ぎ去った「過去」に生きているのではなく、まだ来ていないところの「未来」に生きるのでもなく、今ある今日という「現在」を生き、「現在」に生かされているわけです。

我々は魂として過去-現在-未来と永遠の生命を持っていますが、肉体を持つ人間として行動できるのは現在のみで、この現在、すなわち「永遠の今」を努力して生き抜くことでもってしか、未来を変えていくことはできないのです。

「今日一日を精いっぱい生きる」ことが、輝く明日を迎えるための条件なのではないでしょうか。

一日の初めには、今日も一日が与えられたことを感謝し、今日一日が与えられる最後の日かもしれないと思い、そういう覚悟で一日を生きる。

そして、一日の終わりには、生かされたことを深く感謝し、一日の反省とともに、輝く明日を迎える準備をする。

過去、あのアトランティスでの失敗を再度繰り返しはしない。今回は絶対に成功する。そのためにも一日一生の思いで日々を生きていきたいものです。

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謙虚に愛深く、そして楽しく

レムリアのモットーである、「謙虚に愛深く、そして楽しく」っていいと思わない?

「謙虚に」が一番最初にあるよね。これは、第二の計画の失敗の原因の大きなひとつが、傲慢さによるものであり、今回はその逆をやらなければということで、一番最初に「謙虚さ」ということを掲げてるんだよ。自分たちだけが、選ばれた者たちであるとか、他の人より優れたる者であるとか、そういうおごりの心が魔の進入を招くんだ。神のメッセンジャーをやるとしても、あくまでも一時期の役割として神様から仰せつかっているわけ。皆が神の子であり、皆が無限の可能性を持っており、共に魂の向上を目指しているのだ、という観点を忘れ、俺が、私がと、おごり高ぶった時に、転落が始まるんだよ。

だからこの「謙虚に」とは「謙虚に学びなさい」ということを言っているんじゃないかな。様々なものから謙虚な姿勢で学んでいく。もちろん、神様からの霊言は威儀を正し、ありがたく学んでいくのは当然だけど。

そして、「謙虚に」の中には、「反省」という要素も入っているかもね。日々「謙虚」な姿勢で、想い、しゃべり、行動しているのかって。それを毎日、自ら振り返りながら、チェックするのって大事なんだと思う。

次の「愛深く」というのは、「深く」というのがミソなの。なにせ、愛というのは幅広いのだけど、深ーいもので、僕ら地球人の最大の学習課題が愛を学ぶということなの。だから「深く」ということは、「頭で考えるだけではなく、実践に移しなさい」とか「理念として掲げるだけではなく、具体化して、行動しなさい」ということを言ってるんじゃないかな。僕らはあの世の世界に帰れば、愛に関する勉強はたっぷりできる。でも肉体を持ったこの世でしかできないこと、それは愛の具体化であり、実践、これをやらなきゃね。神様の代わりに、神様の手足となり行動するってことも大いなる愛の学習なんだよ。

最後に「そして楽しく」がある。神理を学ぶにしても、来る日も、来る日も勉強、勉強、そして試験なんかもあったりして、それで何点以上取らないと、悟ってないとか何とか言われる第二の計画はつらかったよね。あれでは、いくらなんでも、楽しくないしね。お酒は駄目、趣味の話かなんかで盛り上がって仲間が集まると、それは分派活動ではとかなんとか言われたりしてね、糾弾されたりして。

バシャールが教えてくれた「わくわくすることをやろう!」って教えはすばらしいものだった。仕事だって、楽しくやりたいよね。そうすれば、つらいことでも、効率も上がるんだ。楽しければ、明るくなり、物事はどんどん発展していくんだよね。そして想いも実現する。

レムリアの集会も楽しいよ。ワインなんか飲んでね。大いなるアマーリエさんの母性に包まれながら、言いたいこと言って。あとのない、がけっぷちの計画だと言われているけど、だからこそ、逆に楽しくやりたいし、なんといっても、神様の仕事のお手伝いをするのは、本当は魂の打ち震える喜びなんだよ。

「謙虚に愛深く、そして楽しく」をモットーとしながら、レムリアの活動を一緒にやらないかい?

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自己限定をはずす

昨年の夏に煙草をやめた。長く吸ってきた煙草をやめると、煙草のにおいが気になるものだ。会社の同僚とかが煙草を吸った後は、「ああ吸ってきたな」と、そのにおいが良くわかる。こんなに、煙草のにおいって臭かったのか、ああ、煙草のにおいが嫌な人たちに、知らず知らずに迷惑をかけてきたんだなって、つくづく思います。

一日何度も通った会社の喫煙室など、もう臭くて入れない。煙草の煙が濛々とする中で、よくこんなところで長く居られたもんだ、などと、少し前の自分を驚きとある種不思議な感覚で見ることができる。

とすれば、煙草に慣れてしまってそのにおいに無感覚になるがごとく、ある心の状態がずっと続くと、その状態が定常化・固定化されてしまい、自分ではその置かれた本質的な状況に無感覚になることも容易に類推できる。

その昔、K会で伝道をやっているとき、K会の会員は北朝鮮と同じように洗脳されてると言われ、ムカーッとして「K会と北朝鮮を一緒にするな!」って噛みついたこともあったっけ。先生に向かい、一斉にお祈りかなんかをして、生き神様として祭り上げ、その命に絶対服従し、それも全員が寸分も違わずに、まさに北朝鮮で金日成に相対する態度と同じではないかとか言われてね。あの時は、もうなんと不敬なことを言うんだ、と怒りに燃えたものだ。しかし、今思えば、まさに正当な指摘で、あの状態は「洗脳」と言われてもしょうがない。

あのころは、自分で洗脳されていることも、煙草を吸ってる人が、煙の臭さがわからないようなごとく、わからなかった。まさか、洗脳状態にあるなど、思いもよらない。だって、自らが徐々にその状態に慣れてしまって「これが当然で普通」と思っているのだから。

それまでは、何も気づかず、当然だと思ったことも、何かのきっかけで、煙草をやめたように自分が変われば、見える世界が変わる。そういった、「観の転回」のようなものがあれば、自分のいる世界がまったく変わって見えてくるということも大いにありえるわけだ。

僕もレムリアからの天上界のメッセージを聞き、それがきっかけとなって、まったく新しい自分に生まれ変わった気がする。同じものを見ても、見る者の認識が違えば、まったく違って見えるということ、それが如実にわかったわけ。

仏教では反省ということがよく言われるけど、いろんな角度から自己を見直し、知らず知らずのうちに自分で作った「これが当たり前だ」といった枠組みに中に捕らわれていないか、自分で作った鎖に絡まれて、いわゆる自縄自縛の状態になっていないかどうかをチェックすることも反省のひとつなのかなと思う。

レムリアのメッセージでは、よく「自己限定をはずしなさい」ということを言われる。この自己限定って、どういったものなんだろう。もちろん自分で何かを限定しているなんて思っていないんだろうね。自己限定で最悪のものは「洗脳」された状態なのかも。

もともと人間は無限の可能性を持った存在で、その認識力に応じた存在になれると言う。思ったこと、想い得ることは実現可能だとのこと。それがもし本当だとすれば、何かの自己限定があるからこそ、その想い得る可能性がこの現実世界に発現されていないのだろう。

それでは、どうしたら自己限定をはずすことができるのだろうか?まずは、これが自分の自己限定だということに気づく必要があるのではないか。自らの想いと現実とのギャップ、それを作っているものこそ、自己限定なのではなかろうか。

自己限定をはずして、天高く、素晴らしい大空へ飛び立ちたいものです。まずは、K会の皆さん、「洗脳」という最悪の自己限定をはずしてみませんか?今、掴んでいるものを離して、自由に、開放感を取り戻し、本来の救世運動を、楽しくやっていきませんか?共に手と手を取り合って。

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K会に今も残る○○さんへの手紙

○○さん、お久しぶりです。

○○さんは今の会にいて、本当に「光」を感じますか?

本来の天上界の計画であるならば、第一の計画であるTS先生の露払いを受け、第二の計画として、TK様と先生が協力して、九次元の法を説き、そしてそれを世界に広げていく計画でした。今頃は、先生は世界各国で救世主として講演され、海外でも神理の書籍が広がり、地球レベルでの精神革命が進んでいたはずなのです。

それが、どうでしょうか。宗教の教団を作り、立派な建物を建て、信者から高額なお金を集め、自分たちのぜいたくな生活と教団維持のため、布施というより、先生の写真やペンダントなどを高額で売っているように見えます。そんなものが、本来の会の目指すべきことなのでしょうか?まさに、こういったことこそがカルトと言われるものではないのでしょうか?

なぜ、たくさんのお金を、神理を純粋に世界に広めるために使わないのでしょうか?会の会員を増やすことが目的なのですか?本当の目的は地球を愛の星にすることなのではないですか。地球人類の大部分の人たちが、自らが神の子であり、転生輪廻をしながらこの地上で魂修行してるんだという、この2つの単純な神理を知らせること、そして周りの人に対し愛を実践できる人が多数になれば、地球は確実に変わっていくのではないでしょうか。

今や先生も、TK様と同様、たかだか数万人程度の人たちの前で教えているのでしょうか。それも、教えているのは天上界から直接降りた「法」なのですか?昔の霊言集や基本三部作は本当に素晴らしい人類の宝であって、あれこそは九次元霊である先生しか降ろすことのできない、貴重な法で、後世にきちんと残していかなければならないものでした。それを、あろうことか、改ざんしたのではないですか。都合の悪いところをカットしたり、書き直したりしたのです。旧書籍と較べてどの部分を改ざんしたかをよく見て御覧なさい。どこをどう改ざんしたか。そこに、まさに狡猾な意図を感じるのは僕だけではないでしょう。

先生御自身が、肉体を持つ身でありながら、霊天上界の高級神霊よりも認識において上だと思っているのでしょう。たとえ地球上での最高級神霊だとしても、肉体を持ちて地上に生まれるならば、肉体に宿りしは魂全体のエネルギーの一部であって、当然地上人間の認識力は下がるのです。だから、先生は天上界からバックアップありてこそ、霊的通信パイプがつながっててこそ、先生たりえるのです。地上に降りたる救世主は、神の言葉を預かる者ということで、「預言者」と呼ばれますよね。それは神理の基礎中の基礎ではないですか。会でも初期にしっかりと学んだはずです。それは先生と言えどもけっして例外はないのです。それすらわからなくなっていったのでしょうか。

その結果、今この世界を見るに、マイナスのエネルギーは一層強力となり、無差別憑依は多発し、これまで神理が世界に広がらないから、抑えられていた地球浄化の過程が、まさにこれから天変地異として始まろうとしているように見えます。しかし、その地球浄化の前に、神理というご馳走を世界に広げないといけないのです。そして、そのご馳走を食べるか食べないかは、人間各自のそれぞれの自由意志でしょうが、まだ全世界に神理のご馳走を広めているとはいえないのです。まだまだ多くの人々がそのご馳走があることも知らないのです。その広める使命を持った第二の計画は悲しいかな、失敗したのではないでしょうか。頓挫してしまったのではないですか。

神理を世界に広めるようとした時にそれを妨げるもの、それは○○さんもよく知っているでしょう。先生の信仰の薄さ、知に偏りすぎた傲慢さ、神理を広めなければいけないという焦りなどの心の隙に、少しづつ天上界の指導が地下の者と入れ替わり、ついに先生はスポッと大きなマイナスエネルギーの中に入ってしまわれたのではないでしょうか。こういった大きなマイナスの磁場の中では、先生は悲しいかな、反省しようとしても、できないのでしょう。

天上界との通信が途切れても、霊道の開けた人は、本人のパーニャパラミタを開けて、過去世の知識で法を説くことは可能だということを聞きます。「仏○再 ○」という書籍も過去の知恵で書かれたそうなのです。考えてみてください。なんであの時期に、わざわざ「もろもろの比丘、比丘尼よ」と呼びかけなくてはいけなかったのか。そして「三○帰○」のようなことを急にやりだしたのか。さまざまな宗教を地球レベルで統合していこうする、そういった時にですよ。それは先生が焦りの中で会員を統制したかったということではないでしょうか?

その頃、情に厚いTS先生の霊言集の人気は高く、その人気に危機感を持ち、自分の言うことを聞くように教団の管理体制を強化したかったということもあったのでしょう。でも、それは本来、天上界が意図してた方向ではないのです。天上界は地球のあらゆる宗教を統合し、地球系神理を提示し、いわゆる「宇宙の法」につなげたかったのです。「三○帰○」体制とか言い出してから、K会はずるずると本来の計画から外れて行ったように思えます。

実は僕も「仏○再○」大好きだったのですよ。先生は、まさしく僕の大いなる師だと思っています。だからこそ、第二の計画の失敗という師の過ちをこれ以上大きくしたくないのです。第三の計画において、我々が頑張って、なんとか神理を世界に広め、次世代に出てくる光の天使たちにバトンタッチして、それで地球のシフトアップが結果的に成功すれば、我々の師も救われるのではないでしょうか。

ご存知のように、今世は○○さんも「本体」で出て来られているのでしょう。そして天上界で計画してこられた使命を果たし、また天上界へ帰っていくわけですよね。今回は地球の歴史の中でも大きなターニング・ポイントで、そして天上界の計画も、まさかと思うかもしれないけど、狂ってしまった。だからこそ「本体」のこれまで過去世で培ってきた、その認識力なり地上での実践力が今まさに問われていると僕は思います。

今後、会の支部や精舎とやらで高額なお布施をして、お祈りをして、自分たちだけでいい気分になり、救世の運動が進んだように錯覚する人生と、具体的に知恵を使い、自ら行動して世界に向け救世運動を実践していく人生とどちらを選ぶのでしょうか?

よくよく、今の会から光が出ているのか、○○さんの心の眼で見てほしいのです。第三の計画はすでに始まっているのです。「光の天使よ、迷いから覚め、集まれ!」「天上界で誓いし本来の使命を成就せよ!」と○○さんの魂には聞こえてきませんか?

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