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新たな経済理論の構築に向けて

あのリーマン・ブラザーズの破綻以降、多くの企業の業績は見る見るうちに悪化、最近の日経紙面は、連日企業の赤字決算の記事で埋まり、評論家は100年に一度の不況が来たと叫んでいる。物やお金がグローバルに世界を行き来するようになったため、またたくまに世界が同時に沈んでいく。それは、アメリカが先導してきた金融主導のグローバル資本主義経済が、私たちの目の前で崩壊しようとしている姿でもある。人間のあくなき欲望により、投機のお金が膨張し、それはまるでイナゴの大群が世界の各地を食い尽くし行き場をなくして立ち往生しているようにも見える。

今、私たちの前で、一体何が起こっているのだろうか。

私たちのお金は、物の売買などの実質的なお金のやりとりによる「実体経済」と、銀行から創造されるお金である「信用経済」によって成り立っている。実は、この「信用経済」の部分が「実体経済」の10倍以上の規模に膨れ上がっており、それが今回の経済危機で崩壊しようとしているのだ。「信用経済」は、あくまで将来返済されることが前提でお金が創造されているのだが、一旦サブプライムローンのつまずきでもって、信用できるという前提が崩れたとき、返済が無理なお金が連鎖的に膨れ上がり、今崩壊の危機にある。だから、これは単なる景気循環ではない。新たな経済のパラダイムが出てこない限り、もう元のところには帰れないので混沌が続くことになるように思う。

人びとが暗澹たる思いでお金を使うことをやめれば、お金が回らなくなり、不況になる。その相乗効果で、将来はどんどん暗くなり、それがスパイラルのように悪循環となり経済危機を加速している。すなわち、人びとの思いが経済の景気を左右しているわけである。こういった人びとの思いとか心の問題が、実際の経済へ大きく影響しているのは、誰もが感じることであろう。だからこそ、新たな経済のパラダイムにおいては、人間を中心とした考え方が必要だと思う。今は、お金に人間がこき使われているように思える。あくまでも人びとの幸福、魂の発展のための道具としての経済であり、お金であるはずなのに、主従が逆転している。

マルクスが資本論をひっさげて、共産主義の考え方を世に出した際、多くの人びとを引きつけた。それは、マルクスの考えに、この世の中をユートピアにしようという愛の心があったからだ。でも、労働価値説という人間に対する唯物的な考え方や、暴力による革命を肯定したことなどの間違いが、その後の共産主義を信奉した国々を、暗澹たるものにしてしまった。そして、共産主義に勝利したかに見える資本主義が、未曾有の経済危機により、今、私たちの目の前で崩壊しようとしている。

新たな経済のパラダイムが求められている。人間とは、他から強制されない自由意志を持ち、かけがえのない個性が与えられ、様々なものを創造できる素晴らしい愛の化身であるということをしっかりと見定めた、新たなる経済理論が必要なのではないだろうか。実は先日、マルクスの霊がアマーリエさんのもとを訪れ、私たちのメンバーの1人に新たな経済理論の構築を行って欲しいというメッセージを託したのだ。時はたち、ベルリンの壁の崩壊を経て、マルクスは反省の期間を終え、菩薩界に帰られたという。

アメリカで、金融危機に対処するための最初の金融安定化法案が共和党の反対により否決された際、株式が777ドル下がった。777というのは「光の勝利」ということを意味する。これは、金融安定化により、一握りの人が多くの富を独占している、今の経済の枠組みがそのまま救済されることを、天は望んでいないことを示しているように思える。私たちに、この経済危機を機に、お金とは何なのか、その本質を問うているのではないだろうか。

・紙幣そのものには価値がないのに、なぜ貴重に思えるのか?
・為替の変動によって、なぜお金の価値が変わってしまうのか?
・お金を銀行に預けるとなぜ利子がつくのか?

などなど。

こういった問題を原点にたち返り、きちんと考え直さなければならないのではないか。

地球の浄化のひとつとして、今回の経済危機は起こっている。大変な時代ではあるが、これは新たな宇宙時代のための一過程であるという認識を持ち、これからの難局を乗り切っていきたいものである。

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